703.50回忌
 祖父と祖母の50回忌が、和歌山市和歌浦の毘沙門寺で執り行われました。仕上げとなる法要です。親族が集まって約1時間の法要を執り行いました。祖父の命日は昭和36年12月4日、祖母の命日は昭和35年4月6日だと知りました。近い先祖の命日を知らなかったことを深く反省しています。そして先祖を大切にと、事あるごとに聞くことが多いのですが、そんな折に50回忌が執り行われたことは必然のような気がしています。いまの年になって先祖の有り難さは身に沁みて分かっていますから、祖父と祖母を敬い、そしてお送りする法要に参加できたことで清らかな気持ちになりました。何か大切なことを学んだような気がしています。

 法要において先祖への感謝とこれまでの生き方などを深く考えたことは、初めてだったかも知れません。これも祖父と祖母が私をこの場所に導いてくれたお陰だと感謝しています。法要の約1時間、仏様顔をしっかりと見据えると、とても優しいお顔をしていることに気づきました。この世を旅立った人はみんな仏様のような表情をしていると強く感じました。現世から旅立った人は、争いの無い世界に存在していますから、穏やかな顔になる筈です。祖父と祖母が仏様の姿を借りて語り掛けくれたような気がしています。その直後に二人の優しいお顔が天に戻っていったように感じました。子どもである父親に見守られた50回忌で安心して天に戻られたようです。この日にここでいられた幸せに感謝するばかりです。

 僧侶は最初に祖父の、次は祖母への念仏を丁寧に唱えていただき、心静まる気持ちにさせてくれました。二度の焼香で三つのことに感謝させていただきました。
 ひとつは私の今の報告です。ご先祖様のお陰で元気に和歌山県政に関わる活動をさせてもらっていることへの感謝と活動報告をいたしました。
 ふたつ目は、最も近い先祖である両親への感謝の気持ちと健康で長生きに感謝いたしました。
 最後は、混乱している社会を何とか次の時代に向けた回復させる力を与えていただきたいとお願い申し上げました。自分もそうですが、先祖の健康、社会の反映の三つが反映するための活動を見守っていただきたいと感謝の気持ちを述べさせていただきました。

 祖父と祖母が旅立った時から50年が経過しています。私の生まれたのが昭和36年10月ですから、その時には祖母はこの世にいなかったこと、そして祖父はわすが二ヵ月後に旅立っているのです。ですから物心ついた時にはお二人はこの世にいませんでした。そのため私の記憶にはありませんが、お二人が存在して厳しい昭和の時代を生き抜いてくれたことで私がいまここに存在しているのです。もしその時代にお二人に何か事件があったとしたら、私は存在し得なかったのです。ここにいられることの奇跡と活動の場を与えてもらっていることへの感謝の気持ちは忘れることはありません。

 それにしても、わすが50年前に祖父と祖母がこの場所にいたのです。もう50年も経過すると、お二人の孫である私もこの場所には存在しなくなっています。誰かが意思を引き継いでくれていることと思いますが、この世で直接感謝の言葉を伝えられなかったお二人に、その場所で感謝の言葉を伝えることができるように、人生の後半戦を生き抜きたいと思います。
 先祖から脈々と受け継がれているものの大きさを感じ、そして受け取ることが出来ました。受け取ったものはこの世で預かっておいて、何時の日にか、この世に託す人のために残していくのです。預かったものは大きく成長させてから創造主にお返しするのが当然ですから、今まで使用させてもらっている天の貯金を増やす活動を行いたいと考えています。

 不思議なものです。50回忌を超えた時に、精神状態は一段違ったような気がします。優しい仏様のお顔が背中にあるような気がします。争いや無関心という言葉が消え去るのです。この世に来たのは争いや無関心を広げるためではありません。争いや無関心をなくし幸福を増やすために来ているのです。幸福を作り出すこと、分け与えること、笑顔が耐えない社会にすること、やっと気づいたのです。
 仏様の眉間には第三の目がありました。心眼。人間にも備わっています。見えないものが本当に大切なものなのです。暖かさ、思いやり、他人への関心などを大切な価値としながら、微笑を絶やさない生き方をしたいものです。

 しかし一時間は集中していたのか、一瞬の出来事でした。

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