黒部の太陽が放送されました。黒部川第四発電所、通称’くろよん’は昭和35年の完成ですから、世紀の難工事は実に49年も以前の出来事なのです。石原裕次郎主演で映画化されていますし、今回はテレビドラマ化されました。
何度か黒部ダムに行ったことがあります。ダムの堰堤の隅には、当時の工事でお亡くなりになった方々の慰霊碑も設けられています。その発電所とダム建設完成までの間には人間ドラマがあったことを知りました。当時、電力不足は国家的な一大事で、’くろよん’建設には国家の命運が掛っていたといいますから、現代の工事と比較しようとしても、同規模の国家事業は思い当たりません。羽田空港二期工事やリニアモーターカーなども国家的課題ですが、国家の命運を握っている事業とまではいかないと思います。このように、比較するものがないので、’くろよん’建設の持つ意味は実は良く分かっていませんでした。
トンネル掘削工事の途中、脆い砂地の破砕帯にぶつかった時、「絶対にやりとげるという強い気持ち」を持った人達がいたから、不可能を可能に変化させたのです。「人の気持ちは大自然に匹敵する」との思いがあったからこそ、自然との闘いに挑むことができたのです。
先人の挑戦が私達の暮らす現代を築いてくれています。「鉛筆一本、紙一枚」のスローガンは、関西電力の先輩から聞いた有名な話です。鉛筆は鉛筆キャップを挿しても書けなくなって初めて新しい鉛筆の配給があったそうです。また社用便箋は両面書きが当然のことだったそうです。会社の命運を賭けた’くろよん’建設に向けて直接現場とは関係のない職場でも、それに協力するために始末をして資金と気持ちを’くろよん’に傾けたのです。
お金があれば何でのも揃えられる時代になっています。始末という言葉も使われなくなっています。しかし家族や親族よりも、自らの使命感を持って国家のために尽くした先人達がいたからこそ、豊な現代の日本が存在しているのです。このことを忘れて、気がついた時には、既に豊かな国日本が存在していると思うのは大間違いです。私達がそれぞれの使命感を持って社会に貢献する姿勢を見せないことには、この国を守り豊かさを維持することは出来ないのです。
トンネルを抜くことは国家の明日を引き寄せることだったのです。黒部のトンネルを越えて山から昇る太陽を見た関係者の気持ちは、一体どんなものだったのでしょうか。国家を左右するほどのプロジェクトに関わるだけでも名誉なことですし、挫折と疑念に打ち勝って工事を完成させたことから来る達成感は、その人の生涯を変える程だったと想像できます。それはわずか数日間のイベントでも、それを終えた後の達成感を感じますし、数週間の議会を終えた後に来る達成感がありますが、’くろよん’建設はそれよりも、身体的にも精神的にも厳しくて辛い体験が伴っているからです。
工事を決断した人も、工事現場に携わった人達も、それを支えた人達にも、黒部の太陽が輝いたのです。それにしても私達は幸運です。苦労することなしに、先人たちが完成させた奇跡の黒部の太陽を見ることができるのですから。
黒部から見た太陽は、困難の後に来た達成感であり、明日へと続く道であり、日本を背負っているというプライドの象徴だったのではないでしょうか。だとすれば、現代の私達に最も欠けているモノ達かも知れません。
閉塞感、下り坂、沈む太陽からは明日は切り拓くことはできません。未来は困難に打ち勝った後に来る達成感、明日へと続く明確な道標があること、そして国を背負っているというプライドを持つことから始まります。
黒部の太陽は歴史の中に存在しています。国家的課題である明日のエネルギーを築き、次の太陽を昇らせるのは私達です。
ところで、黒部ダム建設時の責任者の娘さんが若くして白血病で亡くなりましたが、病床で書いた、黒部ダムが完成した後に放流している場面の絵を残したのは実話だそうです。国家的事業に賭けた責任者の現場での戦いと家族との絆。心に残るものでした。
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