660.井戸
 Nさんは今まで多くの議員の応援をしてきた経験を持っています。開口一番「多くの議員と活動してきたけれど、井戸を掘った人のことを忘れてしまう人ばかりで」と苦笑いでした。その通りで水が湧き出て飲み水として使えるようになると、井戸を掘った人の存在を忘れてしまいます。しかし自然発生的に水が湧き出たものではありません。

 私の好きな言葉ひとつに「井戸を掘った人を忘れてはいけない」とアフォリズムがあります。ですからNさんの言っていることは良く理解できます。井戸がそこにあるのは、井戸を掘ってくれた人がいたことを忘れてはいけません。民間企業から議員に出馬した人、市役所を退職して立候補した人、そして和歌山市の元市長など、最初の頃の気持ちを忘れてしまって居るだけの存在になっている人が多いと話してくれました。
 誰でも知っているけれど大切な教えである、初心を忘れないことや実るほど頭を垂れるべきことの大切さを改めて気付かされました。志を立てた最初の頃の気持ちを忘れてはいけません。そして大きくなるほど姿勢を低くすることがどれだけ大切なことかが分かります。人は年齢を重ねると企業においても社会的にも立場が高くなります。自然と頭を下げることを忘れてしまうのです。それは自分の姿勢にも非がありますが、周囲からも意見を述べてくれる人がいなくなるからです。

 その人が偉いのではなくて、社会で果たすべき役割を与えられているに過ぎません。その役割が社長であったり部長であったり、弁護士であったり政治家であったりします。たまたま多くの人の前で話をする機会を与えられているに過ぎないのです。年末でも荷物を運んでいる役割を担ってくれている人もいます。売掛金の回収のために年末集金に走り回っている人もいます。社会のインフラを守るために勤務してくれている人もいます。新年の行事のために今も現場で働いている人がいます。社会で果たすべき役割は違っても、それぞれが大切な部分を、責任を持って担ってくれているのです。

 発言する機会を預かっている立場の人が、優れているという理由はどこにも見当たりません。たまには原点となった井戸のある場所を訪れて、初心を取り戻す必要があります。喉の渇きを潤すために井戸の水を飲んでいるだけでは、井戸のなかった時代に感謝することを忘れてしまいます。

 井戸のある場所は誰にでもあります。人生の分岐点となった時間と場所。それを決断した場所。背中を押してくれた人のいる場所。勇気を与えてくれた風景など、自分の原点となった井戸があります。
 今日のNさん自宅の大広間は私にとっての原点となった場所なのです。初めて市議会議員に立候補した時の選挙戦の最終日に個人演説会をした場所です。そして県議会選挙でも選挙戦の最終日に個人演説会をした場所なのです。二度までも議会に送り出してくれた私にとっての井戸が、Nさんの自宅の大広間なのです。

 今年になってある候補者が、Nさんにこの自宅の大広間を演説のために貸して欲しいと依頼があったそうです。Nさんは、私以外にはこの場所貸さないと断ってくれたのです。そして、これからもそのつもりでこの場所を使って欲しいと話してくれました。
 Nさんの背後に私にとっての原風景が拡がっています。ここは私を世に送り出してくれた場所なのです。私にとってこの井戸は忘れることはありませんし、時々原点に戻る意味からもこの場所を訪れています。
 年末の今日も原点に立ち返ることが出来ました。いつもリセットして新しい年に挑むことができます。今年もありがとうございました。

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