649.神様、仏様
・食べること
 私達は食べることで人としての身体を維持しています。食べるとは人間以外の動植物の生命をいただいていることです。魚やお肉、野菜や果物は全て生きていたもの達です。
 そんな大切な生命の塊である食べ物ですが、その生命を犠牲にしてはいけせん。生命を犠牲にするとは、食べた私達のその後の行いが正しくないことに向かうことを指します。人の道を外れた行いをするようでは、何のために私達のために動植物が生命を差し出してくれたのか分かりません。
 動植物たちは私達が正義の道を歩くことを願って、大切な生命を食として差し出してくれているのです。
 私が明日、社会的正義になるような行動を起こしたら、動植物の生命を供養することになります。もしそうでなければ、動植物の生命は犠牲になってしまうのです。同じ食する行為でも人の行動によって供養と犠牲に分かれます。食の結果を犠牲にしてはならないのです。生命を供養する気持ちで食事の後に行動したいものです。

・寸心
 人は大いなる展望と向上心を持つ必要があります。なれないと思うとそこに到達できませんし、なれると思うと少なくとも今よりはその位置に近づくことが出来ます。展望を持つと現状とのかい離に心を悩ませることがあります。展望を持たなければ悩みはありませんから、悩むことは向上心の現れなのです。全ての人は悩みを抱えていると思いますから、それは全ての人が向上心を持っているとも言えます。ただ克服する方法が分からないだけです。
 そんな時は心を少し開いてみると困難を乗り越えられる道が開きます。困難は人に相談することは出来ても、誰も肩代わりしてくれません。自分で乗り越える以外に困難から逃れる方法はないのです。祈りの継続は願いに昇華してくれます。

・神様、仏様
 困った時には神様、仏様とお祈りすることがあります。普段は神仏を信仰していなくても神様、仏様になりますから心とは不思議なものです。ところが困った時の神頼みは通用しないのです。
 困った時に神様、仏様に助けてもらうためには、普段の人としての努力が必要です。試験を受けた時で解答が分からない場合、「神様、仏様」にお願いしても解答は頭に浮かんでこないのです。何故なら、全く勉強していない分野の問題に解答しようとしても、思い出す知識は何もないからです。
 神様、仏様が助けてくれるのは、勉強して覚えたけれども試験の時に忘れてしまっている場合です。記憶していたものが忘れていた場合、「神様、仏様」にお願いすると思いだすことがあるのです。これは努力をして一度は覚えていた知識なので思い出させてくれるのです。
 まず努力して知識を頭に入れておく。そして困った時に忘れている知識を思い出させてくれるようにお願いするのが正しいお願いのやり方です。努力している人の下に神様、仏様は訪れてくれます。

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