少し聞き苦しい言葉がありますが、残念なことに最近、良く聞くことがあります。その言葉は「してあげる」という言葉です。他人に対する行為は、本来、見返りを求めるのではなく、好意を持ったものである必要があります。そんな気持ちの行為であれば「してあげる」の言葉は出てこないのです。
「してあげる」とは立場の強い者が立場の弱い人に対して、「あなただったら出来ないことを私だから出来るのです」と言っているような感覚があります。
気持ちを「あげる」のは良いのですが、「してあげる」はいけません。
良くあるのが「県民のためにしてあげたのだから文句を言うな」と思えるような発言です。県民の皆さんが求めているかどうかは、事前に意見を聞くことが前提ですが、机上で設計して「こうすれば県民全体の利益につながる」と考えて実行する場合があります。こんな時は後で揉めることになります。
理由は簡単です。事前に意見を聞いていないかです。聞かない理由は、意見を聞く時間がないこと。聞いて反対意見が出されたら調整する必要があり、そんな面倒なことはしたくないと思うこと。そして実行してしまえば文句を言っても既成事実を作ってしまうと後戻りは出来ない。などが考えられます。
そして県民の皆さんから説明を求められた場合の決めゼリフは「皆さんのためになることだと思ってしてあげたのです」。正に自分を正当化させるクールなセリフです。
そんなことは必要ないと思う人にとっては「してあげた」ことなどは「していらない」のです。本当に相手の立場に立って実行したものであれば、事前に相手の意見を聞くものですし、反映できなかったとしても極力それらの意見を取り入れられるように検討を加え考えます。
そんな時は「皆さんの意見を十分に反映できなかったかも知れませんが、最大の利益を地域にもたらすように考えました。必ず皆さんの役に立つものだと思いますのでご理解をお願いします」などの言葉となって、発信されると思います。
最近、「しあげているのだから文句を言うな。そのせいで計画が遅れてしまう」という発言を聞きました。主体は行政機関で、県民は従うだけの存在のような発言です。30年ほどタイムスリップしたような時代錯誤な感覚です。主役は県民であり、その幸せを守りそれぞれに応じた利益を最大にすることが行政機関の役割でもあります。個人の利益が失われるなど犠牲を伴う施策を実行する場合は、心ある対応が必要です。
そしてこれも良くある発言です。「訴訟するならすればよい。負けるわけがないのだから」との驕りに満ちた言葉です。これは言わなくても当然のことです。多大な資料とデータ、そして法律知識を持った行政機関が、法律の素人である個人に負ける筈はないのです。国などを訴えても勝てる場合は少ないのは、圧倒的に力関係が違うからです。
「あげて」も良いけれど「してあげる」のはいけません。奢るのは良いけれど驕りはいけません。つまり言葉を間違えてはいけないのです。
|