公立の小中学校、高校では夏休みに入っています。暑い夏、ゆっくりしたくなる時期ですが、最近の子どもはそうはいかないようです。進学に関しての競争は益々激しさを増しているように思います。進学塾では夏の補習が開講されていますし、図書館でも勉強する子ども達の姿があります。
夏休みは一学期の復習をする絶好の機会であり、学力を伸ばせる機会でもあるのです。勉強に関して先生方と懇談する中に、社会生活にも役立つヒントがありました。
努力することを大切にすること。
最近の風潮として、努力することは格好良くないと思われています。努力という言葉自体も存在感が薄れています。私達は何事でも、なるべく楽に、汗を流さないで、近道を探すような歩き方をしています。人生を楽短で行けるなら結構なことですが、そんな訳にはいきません。実は努力することは格好良いのです。
先生か子どもに質問していました。
「夏休みなのに野球部に所属している友人が暑い中グラウンドに立ち、ユニフォームを土まみれにして、汗を流して練習していました。通りかかった君が、この友人の姿を見た時にどう思いますか。
ひとつ。格好悪いなあ。
ふたつ。暑いのに何をしているのだろう。
みっつ。無駄なことなのに止めたら良いのに。
よっつ。頑張っている姿は格好良いなぁ。
君は、どんな風に思いますか」と訪ねたのです。
質問を受けた子どもは「よっつめの格好良いと思います」と答えました。
そうなのです。汗にまみれていても、疲れてふらふらであっても、努力する姿は格好良いのです。
もし君が努力している人のことを「馬鹿だなぁ」と他人に言うとすれば、それを聞いた良識ある人は必ずこう思います。「努力していない人が努力している人を評価することはできないよ」。或いは「あなたは努力した経験がない不幸な人ですね」と人格を疑われることになります。努力している人を「馬鹿だなぁ」と思う人が格好悪いのです。
勉強も同じことなのです。夏休みに勉強をしている人を格好悪いと思う人がいたら、その人が格好悪いのです。遊びたい夏休みなのに勉強しているのは、将来、目指しているものがあるからです。それに向かうためには、いま勉強をしなければならないことを知っているのです。
練習をしないでいきなり試合に臨んでも、結果を出すことは出来ません。試合で結果を出そうと思ったら、練習をすべきなのです。練習をしても結果が伴うとは限りませんが、練習をしていなければ試合で練習の結果が出ることはありませんから、試合の意味が全く違ったものになります。勉強も同じで、詰め込んでやっても成果は現われません。毎日、少しずつでも勉強することが、やがてテストの成果として現れ始めます。勉強をそこそこにして試験に臨むことは、勝つための練習をしないで試合に臨むようなものなのです。
楽しくなくても、みんなが遊んでいても、目指すべき試験で結果を出したいと思うのであれば、勉強する以外に近道はありません。
努力をすること、勉強を続けることは格好の良いことなのです。そう思わない人がいるようなら、その価値観を転換しなければなりません。
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