587.教育の本質
 小学校教育は子どもの人格形成と社会生活への適応のために、とても大切な時間です。ですからこの時期の教育は、地方自治体が本気で人材を育てる気概を持って取り組む必要があります。その時、その時のベストの選択をすることは言うまでもありません。小学校教育は大人の社会のように、今回は上手くいかなかったとしても次に期待する考えはありません。仮に現在小学校5年生の生徒は、来年も小学校5年生ではいないのです。「今年のカリキュラムは良くなかったから、反省して次年度に活かせるように努力をする」ことは通用しないのです。毎年が真剣勝負の舞台で、研究や稽古の場ではないのです。

 小学校教師の皆さんには尊敬の念を抱いています。子どもを育てる教師の仕事は大変なものですが、反面、子どもの成長に触れあえる素晴らしいのです。4月に子どもに出会って翌年の3月に子ども達と分かれることの繰り返しですが、きっと同じことの繰り返しではないと思います。毎年、違った個性と出会い、違った成長に出会っている筈です。
 繰り返し巡ってくるように思う季節ですが、その表情は毎年違います。その季節のように小学校の子ども達は毎年違った個性が集まり、春から成長して翌年の春にそこを旅立ちます。

 市立宮小学校の松山先生の授業を拝見する機会を得ました。国語の授業でしたが、月並みですが感動しました。答えに当てはめようとするものではなくて、個人個人の考え方を、発言を通じて引き出そうとする進め方で、子ども達は間違いを恐れないで自由に発言していました。そうなのです。文章を読み取る力に基づいて自分の考えを持つことが考える力なのです。社会において、正解はありませんし間違いもありません。自分の考えでは多分、この方向が正解だと思うからその方向に向いて歩きますし、その結果が正解とかどうかは誰にも分かりません。考えがあるから行動があり、結果があるのです。何かの考えを持つことが大切なのです。その考えは自由奔放な発想に基づくものではありません。先人の考え方を国語や詩歌などから学び、先人の優れた思想に触れ、自己を形成していきます。その中から自分の考えを確立し、言葉として表現し、行動するのです。それが国語の力で、社会人として、日本人として、世界に通用する人としての考え方の基になるものです。読むだけ、覚えるだけではない、考える力と発想力を引き出し自分の言葉で表現できる力を発揮させている授業は、「全く素晴らしい」の一言でした。
 見る人に感動を与える授業は本物の授業です。

 そんな松山先生の考え方をお聞きしました。
 小学校高学年の一学期の重点は、集中力を身につけることです。授業を聞くこと、相手の言葉を聞くこと、他の生徒の発表を聞くことなどによって、集中することを覚えます。
 そして一行日記です。その日の出来事で一番心に残ったことを連絡帳に一行の日記として書き込みます。たった一行書くことを継続することで考える力と表現力などの実力がつきます。そして後で振り返ると、その日の出来事を明確に思い出させてくれます。一度だけ訪れる小学校5年生の時代の日々の出来事の集大成は、未来の自分への贈り物になり宝物になります。

 もうひとつ、「いいなぁ。こんなとこ」ノートがあります。まず自分の長所を自分のノートに書き込みます。次に約6人の同じ班の仲間の長所をそれぞれ書き込みます。仲間の長所に関しては毎月ノートに書き込むのです。仲間の素敵なところが見えてきます。そして同じ班の仲間は、仲間が書いてくれた自分への評価、褒め言葉を読むことになります。他人から褒めてもらった言葉は、自分の自信になります。他人からの批判には傷つきますが、他人からの褒め言葉は嬉しくて自信を確立させてくれます。

 子供の感想の中に「良いことを書いてくれた文章は光って見える」とあったそうです。褒め言葉は浮き出て光って見えるのです。それが嬉しくて自信になります。先日の講演会でも指摘がありましたが、みんな自分の長所に自信がないから、人前では照れて言えないのです。小学校の時代に毎月、仲間が長所を見つけてくれて言葉で表現してくれる経験は、大人になった時、大きな成果を実らせると思います。

 褒められた経験のある人が圧倒的に少ないのです。褒められて育った子どもは他人を褒めることをします。批判されて育った子どもは他人を批判します。ここから育った子どもは自分の長所を見つけられますし、褒められた経験は社会に出ると大いなる自信になることは確実です。
 教育の本質とも言えるような小学校の授業に触れさせていただきました。授業で感動する経験を大人になって味わいました。大人が感動する授業を、子ども時代に体験できていることは幸せなことです。

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