用件があって母校を訪れました。校舎は変わっていないし、先生の部屋や事務室の配置も変わっていませんでした。ついこの間までここにいたような錯覚を覚えました。しかし年月は経過し、近い将来には、子どもが高校受験の時期を迎えると思います。子どもの進路は自分で決めるべきですが、母校を歩くと、子どもにも同じ学校を目指して欲しいとの思いも芽生えてきます。
まあ、それは良いのですが、ひとつ気付きました。親は子どものために出来るだけ遠くまで到達しなければならないのです。子どもが追い付けない程の遠くを目指すべきなのです。子どもにとって最初に出会う大人は親であり、一番身近な親を目標にするものですから、高いレベルまで昇っておく必要があるのです。簡単に追い越せるようでは親の責任を果たしているとは言えないのです。
子どもが少し勉強したら親の位置に届いたり、目標としている親を早い段階から追い越せるようでは駄目なのです。親は子どもの目標となるため、なるべくより高いところ、より深いところ、より素晴らしい経験を目指さなければなりません。
子どもが小さい頃は、親と子どもの人生を生きるための能力の差は大きいのですが、子どもの成長、そして経験と共に、その差は縮まってきます。社会に適合して行く子どもは、社会に適合しなくなって行く親を追い越すものですが、親としては、簡単に追い越されないよう、一歩でも今よりも先に進みたいものです。「簡単には抜かせないから追いついてみろ」との気概を持って、親は人生の頂上を高く積み上げていくべきなのです。
子どもから見て親は、頑張らないと到達出来ない険しい山脈でありたいものですし、希望を持たせてくれるような頂の上に見える青空でありたいものです。いつか子どもは、親と言う山脈を越えてより高い山脈を造り上げます。そしてかつて見た青空さえも届くように成長していく筈です。
歴史を見ると明らかです。いつの時代も現在が人類の歴史の中で最も進んでいる時代ですし、次の時代は今よりも進んでいるべきなのです。全てにおいて時代は前に向かって進んでいます。地球進化の意思からも人類は後退することはありません。
食べることが困難だった時代から、食べ物に困らない時代になりました。人権の概念がない時代から、人権が自然権として認められる時代になっています。王政から民主制に移行しています。戦争の世紀から、安全が保障される世紀に向かっています。物質文明から精神文明へとより高い次元の世界へ昇っています。過去のどの時代よりも豊富なエネルギーを活用出来る社会になっています。平均寿命が延び、夢を実現できる機会が格段に増えています。そして誰にでも幸福を追求する権利が認められています。
このように恵まれた時代は、過去のどの時代にもありませんでした。勝手に時代が進んできたではありません。親の世代が、絶えることなく時代を進歩させ続けてくれているのです。子どもから親になった私達が、今度は時代を創る場面です。子どもが簡単に越えられない時代を創ることが、いま存在している意味なのです。
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