英語の教室を見てきました。ここは小学生対象の英語教室です。外国人講師もいて、土曜日の朝なのに子ども達が熱心に学習していました。学習と言うよりは、遊びとしての英語を楽しんでいる感じがありました。子ども達は強要されて来ているのではなくて自分の意思でここに来ています。
そして英語を学ぶ理由は明快でした。「キャビン・アテンダントになりたいから」「医者になって困っている患者さんを助けたいから」「科学者になりたいのでアメリカに行く必要があると思うから」如何でしょうか、これらが小学生の思いです。大人は今の子どもには夢がないだとか、学力が低下しているのが問題だとか評価していますが、現実は少し違っている部分もあります。平均値や良くない代表的な事例、一部の事件を取り上げて小学生像を作り上げていますが、一人ひとりの子どもは、私達の世代が小学生だった頃よりも夢に溢れています。当時の子どもの夢の代表的なものは「プロ野球選手」「パイロット」「花屋さん」などでしたから、目指す対象と言うよりは漠然としたあこがれで、決してそれを目指して勉強する対象ではなかったように思います。
少なくとも私が小学生の頃は、明確に目指すべき将来の夢はありませんでした。漠然とした目指したいものを見つけたのは高校生になってからだったのです。
夢は何歳になっても持ち続けなければなりませんが、小学生の時代に目指すべきものがあることは幸せなことです。夢とは、ゴールに近づくための目印であり支えになるからです。
それと比較して今日(こんにち)の小学生で学習するのは、目指すべき具体的、現実的な目標を持っているのですから素晴らしいものです。キャビン・アテンダントに医者、科学者などの職業は、努力すれば届く範囲のもので全てイメージ出来るものです。今からそれに向かって勉強を続けたら必ず達成出来ます。そして学習塾や専門教育、専門誌など、目指すもののために学習出来る環境がありますし、それらの職業がイメージ出来る媒体も豊富ですから、夢に近づく確率は、今までのどの時代よりも現在の子どもの方が高いもではないかと思っています。そんな夢の実現を目指せる社会を創っていることは、大人にとっての誇りでもあるのです。
社会の良くない出来事ばかりが新年の挨拶にありますし、良いことが報道されることは少ないように思っていますが、現実の生活の中では悪い出来事が頻繁に起きている訳でもなく、日々前進している毎日があるだけです。一人の環境が少しでも良くなれば、その分だけ社会は前進しています。昭和の時代には夢があって、今の時代には夢が失われていると言われ秘かな昭和ブームだそうですが、今ほど夢を実現出来る可能性のある時代はないのです。昭和の時代は高度成長の時代でしたが、個人の夢、家庭の夢はそこにあったのかどうか分かりません。現在の方が職業は多様化していますし、才能で食べていけるだけの環境はあるような気がしています。
その環境を活かして、学校が休みの日も夢に向かっている子ども達。一人ひとりが夢を見られる社会、そして一人ひとりの夢が実現出来る可能性の高い社会。これが素晴らしい社会だと言わなければ、何を以って良い社会と言えるのでしょうか。過去が良くて現在を悲観するようではこの先はありません。現在社会は、先人達が作り上げてきた今まで最高の社会だと認識して、私達がこの先を築き上げたいものです。
それにしても子ども達の夢と学習意欲には感心します。しかし学べる子ども達は良いのですが、学べる環境を与えられていない子ども達はどうなのでしょうか。和歌山市の公教育に英語を導入して欲しいと要望してきましたが進んでいません。アメリカに渡って科学者になりたいと思い小学校時代に英語の学習を続けている子どもと、公立小学校で英語の時間が十分に取れていない子ども。大人は機会の平等を提供すべきなのですが、子どもを違う入口から大人の社会に向かわせている状況を作っていることは好ましくありません。
日本の強さとは経済力を背景にした円の力です。それがあるから日本が世界で今の地位築いているのです。今後、アメリカとEC諸国、そしてBRICsとの覇権争いが待っています。英語は世界を制するための最低限必要な武器なのです。平和を愛する国が経済力の鍵を握ることが、世界の平和を安定させるために必要なのです。
大きなことも最初の一歩から始まります。子どもと英語教育。今、着手しないで何時するのでしょうか。下り坂に差し掛かった時ではなく、常にトップレベルにいる内に次の一手を打つべきなのです。
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