492.大丈夫
 新年二日目の実家での滞在。自分では走り切った1997年だったと思っていますから、癒されるひと時でした。自分ではストレスの溜まらない体質、性質だと思っているのですが、一年間の活動の棚卸をすると溜まっていたものが体から抜け去るような気がします。また一年が始まる最初に、心身をリラックスさせて再び立ち向かう気持ちにさせてくれます。 

 毎年、このような気持ちになれる環境にあるのは本当に恵まれています。父親はいつか越えなければならないそびえ立つ山脈のような存在ですし、母親は優しく包みこんでくれる静かな月の光が溢れる夜空のような存在です。誰でも人は誕生した瞬間からふたつの愛情に包まれて生きているのです。それがいつまでも続いていることに感謝するばかりです。長くてもわずか100年ばかりの人生において、恵まれた環境の中でいられることは日常の中の素敵な出来事です。
 大人になった人間が子どもに戻れる時間は、無理をしなくても自然に心身機能の再起動をさせてくれるのです。1000年の歴史と文化に彩られた世界文化遺産の熊野の癒しも、この癒しには敵いません。

 ずっと以前、福井県に出張した時に地元の人から美味しいと評判の洋食店に行ったことがありました。確かに美味しかったのですが、お店には「北陸で二番目に美味しい店」という看板が掲げられていました。不思議に思って店主に「北陸で一番美味しい店ではないのですか」と聞いたところ、「勿論、美味しいと自信がありますが、どうしても敵わない味があります。それは家庭の味なのです。どの人にとっても家庭の味が一番ですから、せめてその次にくる味でありたいと思って料理しているのです」との返答でした。家庭の愛情のこもった味が一番で、お金をいただいて料理を提供する店ではこの店が一番だと自信を持っていたのです。

 お金を出しても買うことが出来ないものが身近なところに存在しているのです。本当に欲しいものは遠い世界にあるのではなくて身近なところにあり、しかもお金では買えないものなのです。私達は世界のどこかを目指し、そしてそれをお金で手に入れる旅をしているようです。向上心は最も大切なことのひとつですが、その半面、翼を休めるための場所と時間が必要です。長い間飛び続けていると航路に迷うこともありますし、疲れた心には誘惑が忍び込んできます。その危険性を回避するためにも心から安らぐ場所と時間が必要なのです。そこから人はまた羽ばたくことが出来るのです。

 私達は無言の期待に応えるためにも、毎年必ず大きく成長した姿で戻ってくる必要があるのです。どれだけ大きくなっても、その場所はそれに合わせて大きく包みこんでくれるものです。しかし例え小さくなって戻ったとしても、傷を癒して再び旅立たせてくれるために背中を押して支えてくれます。
 
 深い森を歩き静かに深呼吸をしているように落ち着いた。青空の広がった高い山の頂の上に立って拳を突き出しているような気分で。運動会の徒競争を一番で走ってゴールを切ったような誇らしい気持ちに。その上、過去から未来への扉を開くような高揚した気分にしてくれるような感覚にしてくれます。これは明日に向かうための素晴らしい体感です。
 ほら、一年を駆け抜けるだけの強くて優しい力がみなぎってきました。今年も絶対に大丈夫です。

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