474.勉強
 中学校を卒業してから30年間が経過して初めて開催した同窓会も終わり、今更ながらありふれたことを思います。「あの時にもっと勉強しておいたら良かったのに」と。何の弊害もなく教育を受けることがどれ程、貴重なことなのか分かるお話を伺いました。

 和歌山市内の経営者団体の方が先月、フィリピンとの親善と視察のため同国を訪問しました。主にフィリピンの教育機関と子ども達の保護施設を見てきたのですが、衝撃を受けたそうです。
 10歳代の子どもが小学校に進学出来る割合は約半分。つまり半数の子ども達が教育を受ける機会が与えられていないです。義務教育はありませんから、小学校に通えるのは比較的裕福な家庭の子どもに限られます。小学校に通えない子ども達のためにボランティアの方達が変わって勉強を教えている施設もありますが、それでも週に1回程度の授業があるだけです。

 そして小学校に通えない子ども達には家がありません。ごみの山に住んでいる子ども達もいて、ごみ山の中に捨てられた雨風を凌げることの出来るトタン板や看板などで囲いをして家のようなものを作ってそこで生活しています。写真を拝見しましたが、家と呼べるようなものではなく、今日を生きていくことに精一杯ですから、勉強どころではありません。そして最も辛いことは、この生まれてからごみ山での生活環境を与えられていること以上に、勉強の機会がなく将来への希望が開けてこないことです。将来に希望があることで人は生きていくことが出来ます。

 特に子ども達には「勉強してパイロットになりたい」「花屋さんになりたい」「お医者さんになりたい」などの夢が必要なのです。そのために、小学生の時点では決して楽しくない(と思っている筈の)勉強をするのです。勉強をして知識を得て考える力と生きる力を身につけることが、将来の希望を叶えてくれることになるのです。

 その肝心要の勉強が大切な時期に出来ない。しかも自分の責任ではなく置かれた環境によって将来が限定されてしまっていることは衝撃です。現在の日本では考えられにくいことがフィリピンでは当たり前のような事実として存在しているのです。
 私達は今すぐにこの問題を解決することは出来ないかも知れません。しかし私達には勉強する機会が与えられています。勉強することで誰でもが目指している希望に近づけますし、日本ではそれが達成出来るのです。勉強出来る環境が与えられていることはどれだけ素晴らしいことなのか、他国の事情を聞くことで分かります。

 勉強は嫌いだとか、早く卒業したい、など思うことがあるでしょうが、本当は勉強する機会があることに感謝すべき位です。残念ながら、それは誰にでも与えられたものではないからです。
 勉強することから希望への一歩を踏み出せます。何時の日にか、将来の希望を現実のものにした時、希望の見えない地域や人達へ、希望を与えられるようになりたいものです。

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