449.お盆
 2007年は日曜日とお盆が重なり、道路は空いているのか混んでいるのか分からないほど状況の変化が著しい上、他府県ナンバーの車が多く、不思議な特有の雰囲気がありました。この時期、レジャーや観光に訪れる人が多く街中は空になり勝ちですが、忘れてはならないのはお墓参りです。先祖を敬い感謝する気持ちを思い起こす時期でもあります。普段は先祖の存在を意識することはありませんが、自然にお墓参りに向かわせてくれるお盆は特別な時期になります。

 言うまでもなく私達が存在しているのは両親がいるからです。その両親にも必ず両親が存在していますし、その両親も同じことです。この様に今の自分に繋がるまでには必ず両親が存在しているのです。もし生命の連鎖の中の一人でも欠けていたら、私は存在していなかったのです。ですから生存しているか、していないかは問題ではなく、全ての先祖に感謝する気持ちを持って当然なのです。

 そして受け継いだ生命の連鎖を繋げる役割を担えることにも感謝したいものです。仮に、何かの犯罪に巻き込まれたり、生まれてきた個としての役割を果たす前に何か発生すれば、自分が先祖になることは出来ません。自然の流れの中で、そうなれば天命だとも言えますが、自らの過ちでこの連鎖を絶やすことは先祖への冒とくです。
 長い流れの中で自分の代がこの世に生を受けているのはわずかの時間です。バトンを持ってのリレーですから、バトンを受け取った時よりも全てを前進させて次の走者に渡したいものです。

 ですからお盆の一日はお墓参りに時間を割きました。流行の歌にあるように、お墓の下に先祖がいるのかどうか分かりません。この世を去った先祖の姿は見えないので、見えるものに向かって感謝の気持ちを述べ、手を合わせます。何となく、先祖の魂はその場にいるものではないけれども、その瞬間は心の中に宿ってくれるような気がします。

 手を合わせた瞬間に先祖が氣を注入してくれ、この後、困難な時代に立ち向かう氣力を与えてくれるようです。いつの時代も生きていくことは困難に立ち向かうことです。生きていくことが楽な時代は歴史上ありませんし、これからもないと思います。困難な時代を生き抜いてバトンを渡してくれた先祖は、それぞれの時代を生き抜いた力があります。全ての先祖がその全ての力を、後輩でありこの世に生を得ている子どもに分け与えてくれるのです。このようにお墓参りは先祖が氣を満たしてくれる時間でもあり、この後、生きていくための力を与えてくれる瞬間なのです。
 暫くの時間でしたが先祖から氣の交換をしていただき、気持ちも新たに活動に向かえる態勢になりました。

 お墓参りをしない人は保護されないと聞くことがあります。忙しい現代社会を生きているとお盆と言っても中々時間を取れないものです。しかし忙しいばかりではやがて心を失い、氣が萎えていきます。先祖との対話から氣を充実させ、明日に向かえる貴重な期間がお盆のような気がします。勿論、仏教の知識はありませんから、本日、感じたことや考えたことは全て私事ですが、信じることから始まることがあります。2007年も後半戦に入っています。活動に加速度をつけるためにも貴重なひと時でした。

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