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 439.地域の文化力
 平成19年5月、和歌山市内にある子ども達の合唱団がドイツに演奏会に出掛けていました。この指揮者の先生が音楽の歴史の深さを感じる出来事を披露してくれました。ドイツのまちはそれぞれ音楽ホールを持ち、子どもの頃から音楽に親しんでいます。子どもの頃から音楽に親しむ子ども達は、生涯を通じて音楽を楽しむ人生を過ごすことになります。仕事に音楽を加えた人生は、どれだけ充実したものなることでしょうか。それが子どもや次の世代に引き継がれ新たな歴史を彩っていくことになります。

 まちの音楽ホールには責任者がいて、まちの公務員よりも少しだけ高い給与を貰っていると伺いました。つまり音楽の普及と次の世代への伝承を価値のある仕事だと認めていることの現われです。価値のある仕事はより多くの給与を取れることは当然のことです。音楽を普及する仕事が価値のあるものであることから、このポストを目指す人が続きますし、仕事に誇りを持つことになります。
 お金が全てではありませんが、生活をするのに十分なお金を得られる仕事に就くことで誇りが生まれます。どれだけ素晴らしい仕事だと言われたとしても、社会が価値を認めてくれないと誇りは持つことは難しいのです。何故なら価値のある仕事は社会が評価し、高額の収入を得ることが出来るからです。

 和歌山市の場合、音楽活動をしている方がいますが、子ども達への音楽指導、音楽の普及活動だけでは生活をする上で十分な収入にはつながらないのが現実です。ドイツと比較すると音楽文化の層の薄さが分かります。
 これは和歌山市だけに限ったものではなく、地方都市では子ども地への音楽指導だけで生計を営むことは厳しいのです。文化の差は感性の差となり仕事の差となります。仕事の差はまちの品格の差となり、それが積み重なると更に文化の差となります。この文化レベルの連鎖は簡単には縮まりません。
 解消する方法はひとつ。文化活動により一定水準以上の収入を得られることです。音楽やスポーツなどを生業として、他に仕事を持たなくても生活できることは勿論、価値のある仕事だと地域で認められることが必要です。

 「子ども達の音楽隊の指導をしているの?素晴らしい仕事ですね。ヨーロッパへの遠征をするための活動資金が得られるのは当たり前ですね」「少年野球のコーチをしているの?子ども達にとっても地域にとっても素晴らしいことですね。収入を得られて当然のことですね」などの会話が交わされるようになれば、それらの文化が地域に定着していると言えるのです。今時点では考えられないことですが、そうなるまでに時間を要することも理解出来ると思います。

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