先日、G自治会長宅に一人のおばあさんが道を尋ねて来ました。地元の人ではなく、衣服は汚れていたので、歩きながら道行く人に相手にされなかったそうです。昨今犯罪が多発しているご時世ですから一瞬警戒する気持ちになりましたが、話を聞いてみると和歌山市西浜の知人宅に行きたいと言うものでした。夕方のため、自治会長の家から和歌山市西浜までは、おばあさんが歩いて日の明るい内に到着出来る距離ではありませんでした。
そこで仕事の途中でしたが、中断しておばあさんを車で西浜まで送り届けたそうです。仕事を中断したことで、帰ってから普段より遅くまで仕事をすることになったのですが、自治会長の気持ちは満足していたのです。
それは「普段、善行を説いている自分が誰も見ていないからと言って、困っているおばあさんを追い返すことは出来ない」との気持ちがあったからです。人を身なりや年齢で判断してはいけません。まして困っている人に尋ねられて自治会長自身で解決可能な問題であれば、お手伝いするのが普段の言動と一致することになりますから、実行した訳です。
自治会長は「あのおばあさんが尋ねてきたのは、神様が私を試していたと思っています。言行が一致しているかどうか、神様が私の元に使わしたのです」と話してくれました。
こんな心掛けをしているところに幸せが訪れます。自分の前に不幸な人が突然現れたとしたら、神様がその行動を試していると思うことで対処方法が変わります。
もし尋ねてきたおばあさんの身なりが綺麗だったとしたら、道を尋ねられた人も丁寧に対応していたことでしょうし、この自治会長も躊躇することなく道を教えていた筈です。余談になりますが、人を外見で判断してはいけないと言うけれども、実は自分は周囲に合わせて外見に気をつけるべきですが、他人を外見で判断してはいけないことなのです。
そして、金銭ではなく行動で解決出来るものであれば、自分がして欲しいと思う通りの行動を相手に施すことです。それが言行一致です。話していることと行動が違うとすれば人物ではありませんし、他人が判らないとしても自分が苦しむことになります。自分が苦しむことになると幸せにはなりません。幸せは自分の気持ちがもたらしてくれるものですから。
良く似た逸話も紹介してくれました。
昔、あるところで、破れた服装の身なりの汚いおばあさんが、順番に道沿いの家を訪ねて道を教えて下さいと歩いていたのです。しかしそれぞれの家の人はボロボロで汚れた服装を見て、誰もおばあさんを相手にしませんでした。
そしてある家に来たところ、その家の人はおばあさんに対して親切に道を教えてあげたのです。その途端、そのおばあさんの姿は仏様に変化したのです。仏様がその地域の人の心を確かめるために姿を変えて、道を尋ねて歩いていたのです。
人を見かけで判断してはいけないこと。自分の気持ちを素直に表現すると。自分がして欲しい行為を相手に施すこと。教訓が詰まっています。
|