392.世間
 人は真剣に生きようとするほど壁に突き当たります。
 壁が立ち塞がる要因はふたつ。自分の気持ちとの葛藤と周囲の視線です。問題に突き当たった場合、自分に打ち勝つことは大変なことですが、それだけでは問題は解決しません。内心の問題は自分で解決出来ますが、他人が絡んでくると自分だけでは解決できないのがやっかいです。
 他人の視線とは、いわゆる世間のことです。世間に顔向けできない。世間体。世間様。世間がうるさい。世間にしれたら大変なことになる。などの言葉で言うことがある「世間」です。
 自分が悪くないことでも、実情を知らない世間は有限、無言の攻撃をしてきます。それに正面から立ち向かうことは、精神的に本当に厳しいものです。悪い噂、事実を伴わない批判には心を傷つけられます。そして世間は実態があるような、ないようなものなので、誰に訴えたら良いのか全く判りません。いわれなき世間の視線には、無言で耐える以外ないのです。これは大変厳しいものです。

 姿なき世間にひとりで立ち向かっていたら精神が参ってしまいます。立ち向かう方法はただひとつ。周囲に信頼出来る人を見つけることです。励ましてくれる人。気持ちを込めて叱ってくれる人。話を聞いてくれる人。周囲にこの三人がいれば精神的には大丈夫だと思いますが、中々揃わないのです。
 辛い気持ちを抱えていれば、不安と後悔は増大していきます。しかし他人に話すことで、大きな荷物を少しずつ捨て去ることが出来ます。過去は過去で、どうすることも出来ません。今は存在しない過去を抱えていると、自分の中の後悔達はどんどん成長していきます。
 既に消え去った過去の問題は、信頼出来る人に預ける(話をする)ことで、自分の中で姿を消していきます。話を聞いてくれる過去を預かった人は、過去を過去へと葬ってくれます。

 過去に縛られていても未来は開かれません。私達がこれから出会う人達は、(私の)過去を知らない人ばかりです。将来で会う人は私達の過去を知りません。自分のレベルを上げておけば、過去の自分に縛られことはありません。将来は、自分レベルに応じた人だけが現れることになります。
 そうすると過去に出会った人に再び出会うことはありませんから、自分の将来に自信を持って生きたいものです。
 過去は現在に存在しません。過去は自分にとっては記憶、他人にとっては情報として存在しているだけです。世間が持っているに過ぎない情報に、今の自分が縛られる必要性は全くありません。

 世間とは(正しいとは限らない)情報の集合体に過ぎない、そんな存在であると思っていると気持ちが楽になります。自分のことを一番知っているのは自分であることは間違いありません。自信を持って今日を生きたいものです。
 人は誰でも今日(いま)以外に生きられないのです。夢があるから将来を生きることが出来るのです。そして夢を見られるのは今日の自分だけです。

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