平成18年夏、和歌山市市長選が低調であると言われています。和歌山県外から来た人達からは、タクシーや飲食店で市長選の話題を出しても誰も関心がなく、投票日さえ知らない人が多いと言われました。
先に行われた滋賀県知事選と比較すると争点がないことが明らかだそうです。滋賀県では、栗東に新幹線の新駅を設置することが最大の争点でしたが、他にも産業廃棄物処理場などの争点がありました。それらの是非が争点となっていたため盛り上がりがあったのですが、和歌山市の場合、巨額の予算が伴う課題もなく、市民の皆さんの過半数が関心のある争点もありません。この点が盛り上がりを欠く要因です。
ただ注意すべきなのは、これから4年間和歌山市政の舵取りを任せるトップの選択に関心がなく、投票行為を棄権することは極めて危険なことです。投票率を下げることは、投票に行く人の一票の重みが増すことにつながります。
もし有権者の人が全員投票に行くと100%となりますから、一人が行使する一票は一票の重みとなります。ところが有権者の二人に一人が投票に行った場合、投票に行った人の重みは二票分の重みが出ます。何故なら投票とは意思表示に他なりませんから、意思表示を行った人が少なくなればなる程、投票した人の意思が政治に反映されるのです。ですから投票に行かないで投票率を下げる行為は自分の意思表示をしないことですから、結果として投票に行った人の意思を尊重したことになります。
例で示します。有権者30万人、投票率50%、その内60%の得票を得た候補者が当選するとします。投票した人は15万人、当選者の得票は9万票となりますから、投票結果からすると堂々とした当選です。
しかし全体からすると30万人の内の9万人に信任されたことですから、市民全体の内、支持した人の割合は30%となります。有権者の内わすが30%の人が信任しただけなのに、市民のトップになってしまうのです。棄権した人が半数もいたことで30%の人達の意思が全体の意思表示として決定されますから、投票した一人の一票の価値は3倍になっていることが分かります。
自分が棄権したことにより、見たこともない投票を行った人の一票の価値を増してあげることになっているのです。つまり支持基盤のしっかりした候補者に有利に働くため、投票率が低ければまちを変えることは難しくなることを意味します。まちを変える力は普段関心の低い人達が行動を起こすこと以外に有り得ないことが分かります。
プロスポーツでは、勝率50%を超えて初めて優勝を目指せる位置にいると言えます。勝率30%台で優勝することは有り得ないどころか最下位に近い数字なのです。プロスポーツと比較するのは土俵が違いますから一概には言えないことを承知しながら、それでも分かり易く比較するために数字を引用しましたが、30%の得票率で私達のまちの行く先を託すことが果たして適切なのか否か、問題はないのですが少し引っかかります。
勿論、投票の棄権は自らの権利を放棄するもので意思表示した人に非はありませんから、棄権した人を救済する必要はありません。ですから最低限、何らかの意思表示をしたいものです。
投票を棄権することは、様々な不利益を受けることに気付いて下さい。
意思表示の機会を放棄すること。投票した人の一票の価値を高めていること。一般的に危険な行為である白紙委任に等しいこと。次の意思表示の機会まで4年間も待たなくてはならないこと、などです。貴重な個人の権利が失われることは避けたいものです。