公立教育では各教科授業時間の最低時間数が決められているため、新しい取り組みを実施するには困難が伴います。英語や経済教育環境教育など組み込むためには何かを削除する必要があり、新旧入れ替えは現実的ではありません。特色ある公教育を語るのは簡単ですが、実現するのはハードルがあることが判りました。それでも改善策を出し合って実現に向けた取り組みを行うことは意味のあることです。現状のままで良いと思ってしまうと前向いては進みませんから、素人なりの教育に関する意見を聞いてもらうことは大切なことが判りました。
しかし課題があります。それは教育に新規施策の予算を配分してもらうためには、財政部に対して新施策の費用対効果を検証する必要があることです。小学校教育を実施した成果が現れるのは数年から数十年後となりますから、即効性が期待出来るものではありません。ですから、ある施策を行うことでこの成果が現れるとは言い切れないのです。
例えば、本を読む週間を身につけることで学習意欲が高まり国語表現力が増すと考え、各校の図書購入費を増額させようとしても、財政部門から、本を読む生徒の表現力が高くなることを検証しているのか、検証していないのであれば何を持って効果があると言い切れるのか、その根拠を示すことと指導されています。その様な検証は出来ていませんし、アンケート調査で結果を出しても本質的な成果は不明です。
その結果、図書購入費の増額は見送りとなり、生徒に本を読む機会を失わせることになります。子どもが持ったかも知れない読書は楽しいと思う機会を大人が奪ったのです。
このような事例が多々あると、当該箇所では新規施策を実施しようとする意欲がなくなるのです。
教育に関しては、生徒や保護者の意見を聞くことは言うまでもなく大切です。しかしプロである教師からの新施策の提案は例え根拠が乏しくても検討するに値します。それは教育に関する知識と情報量は、教育に関係した仕事をしていない私達とは圧倒的に違うからです。圧倒的に最新の、そして深い情報を有する教育関係者が、自らの経験を基にして生徒のために役立つと考える新しい施策は、教育の素人が考えるよりも将来への教育の期待に適している筈です。
教育が良くなった場合でも、全ての原因は何なのか分からないことが多いのです。和歌山市内のある公立学校はかつて荒れていたのですが、現在はその校風はとても良くなっています。しかし、考えられる要素は幾つかありますが、学校が良くなった本当の理由は分からないのです。このように人間が活動する環境においては、原因と結果がはっきりしないのです。
学校が良くなった要因は、校舎を建て替えてきれいになったこと。先生が変わったこと。近隣に新しい中学校が出来たので負けられない生徒が思うようになったこと、などがありますが、ひとつではなくこれらの要因が重なって校風が良くなったと考えるのが適当です。
古い校舎の時代には、女子生徒は学校でトイレに入るのさえ嫌がっていたと言います。人間は環境に影響されますから、トイレを使用できない程の設備環境にいると心も荒れてくるとも考えられます。トイレに入れない様な学校を生徒が誇りに思うことは絶対にありませんから、学校に愛着を感じないのも当然です。生徒は地域社会の中で大切に思われていないと感じると大人からの愛情を受け取れないのです。愛されていることが他人を思いやる気持ちにつながりますから、校舎がきれいになることで大人からも大切にされていることを実感出来るのです。建物というハードの整備も生徒にとっては大切な要素なのですが、大人になるととそれが分からなくなっているのです。
保護者も気づいていない欲求を形にして示してあげることがプロの教育者なのです。教育を仕事にしていない人達の言う通りにしているだけでは、理想の教育を実現出来ないことも考えて欲しいものです。
|