比較的安価で好きなものを選んで食べられる形式がバイキング料理です。この形式のレストランでは小さい子どもと一緒の家族連れを良く見かけるので微笑ましく感じます。
店内で子どもが騒いだり大きな声で話をするのは仕方ないことですが、仕方ないことがあります。バイキングでは食べられる量だけをお皿に盛ることが、誰にも言われなくても常識です。ついつい欲張ってしまいますが、お皿に料理を残すことは避けたいところです。
ところがつい先日、子どもを二人連れた若い家族が横にいたのですが、席を立った後に残されていたのはお皿いっぱいに残されていた料理でした。6皿か7皿全てに料理やデザート、フルーツやパンなどが残され集めると優に二人位が食事出来そうな量だったのです。
少し位なら残しても仕方ないと思いますが、通常だと大人は残さないものですし、子どもに対しても食べられるだけの料理を皿に盛り付けるように指導と注意を行う筈です。残さずに食べることは、子どもに対する家庭教育の範疇です。
大人にすればお金を支払って食事をしているのだから、食べようが残そうが文句を言われる筋合いはないと思っているかも知れません。表面的にはそうですが、そう思うのは間違いです。
日本の食料自給率は先進国中最低に位置していますし、精魂込めて食料を供給してくれる人がいるのです。牛や豚を飼育している人、野菜を育てている人、魚を捕ってくれている人、お米を作ってくれている人など、体力的に大変な仕事をしてくれた結果、私達は食事を取ることが出来ているのです。
まだまだあります。残った食事はごみ問題を引き起こしますし、その量が増えると環境問題にも発展します。
最も深刻な問題は子どもへの影響です。食料を残しても良いと思いますし、日本人が大切にしたいもったいない気持ちすら分からなくなります。子どもの頃はお茶碗に一粒でもご飯粒を残すと「お百姓さんに叱られるよ」や「目がつぶれるよ」など注意されたものです。その言葉によって、残すことはお米を作ってくれた人に迷惑をかける悪いことだと認識出来たのです。
同じように魚や肉を残しても注意をされました。「生きていた魚や牛は人間のために命を提供してくれているのだから、きれいに食べてあげることが供養だよ」と。生きているものの命をいただいていることを理解したのです。
子どもの時に食事での礼儀を通じて教えられたことで、大人になってももったいないという言葉を使え、その気持ちを持ち続けていられるのです。
最近は肉もパックで売られていますし、魚も身を刻まれてパックに入れられているので元の姿は分かりません。鶏や蛸にイカ、小売店でパックにされたものは全て原型を留めていませんから命あるものと言う認識はなく、商品としての肉や魚があるだけの認識となります。大人が食事の礼儀を教えないと、子どもにとっては食材とは人間が無尽蔵に供給できる商品だと認識することになります。その結果、どれだけ食事を残しても罪の意識は発生しなくなります。
大人は食事を残してはいけないこと、食事として生命あるものの命をいただいていることを子どもに教えなくてはなりません。ものを大切にすること、まして大切な食料を大切にすることを伝えることが、もったいないを教えられた世代である私たちの最低限の役割です。
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