214.電柱
 まちにある電柱はあまり歓迎されているものではありません。狭い道路に電柱が建っていると車が通行する際に支障になる、対抗する場合交わすのが大変、住環境とマッチしないなどの理由があります。

 この電柱を大切に思ってくれている方がいます。家の北西門に電柱が建っているのは吉層であると信じて朝夕、家の繁栄を願っています。元々この方の敷地内に電柱が建っていたのですが、道路拡張に協力した際、和歌山市に用地提供したので現在は市有地となったところに建っていることになります。その時に北西の壁の内部、つまり敷地内に祠を建てて電柱と共に感謝の念を送っています。
 電柱があることが精神的支えとなり、家はささやかな幸せを築いてきました。ところが近隣地の宅地造成により電柱を移転する必要が生じました。社会通念上は市有地であること、移設するのに支障はないことなどから工事は進むことになのますが、この電柱を吉層であると思ってくれている方にとっては悲しい出来事です。

 一般的には吉層であるとの根拠は乏しいものですが、本人は大切なものだと信じていることを他人が侵害することは如何なものでしょうか。内心何を思っても自由であることは絶対的に保護されます。根拠のない心の支えであっても他人がその精神を犯すことは出来ません。信仰心でも何でも、内心にとどまる限りはこの国においては自由が保障されています。

 土地と道路を有効活用することは、その土地の社会的価値を高めますからこれも阻害することは避けるべきですから、双方の思いが違う点を衡量する必要があります。比較衡量すると、土地の利用価値を高めることで経済的価値は高められますし、地元の方にとっては角地の電柱移転により道路幅が広がるため移転は有効と考えられます。
 一方家の外、北西にある電柱を移転することを避けたいと思っても、個人だけの価値に留まり、電柱の所有権、建柱場所の土地所有者でもないことから、個人の都合だけで移転しないで欲しいとの主張は弱いと考えられます。
 電柱移設の理由は、競売で落とした土地を整地し宅地として分譲することが目的ですから、所有者である商人の経済的自由は尊重されるべきです。一方電柱を移転しないで欲しいと願っている個人にとってそれが生きるうえでの人権とは言えませんから、経済的自由権を保護するのが結論だと思われます。よって結論として、電柱の移転を阻止する理由はないと判断するのが妥当です。

 一般的に考えるとこのような結論になりますが、電柱が家屋の北西にあることをありがたく思ってくれている人にとっては悲しいことです。個人の思いなどは社会の利益の前では吹き飛んでしまいます。電柱があったから病気にならないで健康でいられること、大病を患っても直ったと信じていることも、家庭が平和で楽しく暮らせているのもこの電柱があるからと言っても、それが社会から受け入れられることはありません。

 結論からすると電柱の移転は認められるべきですが、個人の思いも大切にしてあげて欲しいものです。いつも立場の弱い個人は譲歩することを余儀なくされますが、立場の強い人はそれらの思いを聞いてあげて心に留めて欲しいものです。

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