213.季節
 和歌山巴里祭のゲストはさとう宗幸さんでした。さとう宗幸が青葉城恋唄でデビューしたのは昭和53年ですからもう27年前になります。今日も当時と変わらない歌声を披露してくれました。
 さとう宗幸さんの歌を生で聞いたのは初めてでしたが、その歌声を表現すると心に染み入る声と歌詞でした。青葉城恋唄、マイクを通さないでの熱唱は勿論、森茂久弥さんが作詞した「うたかたの恋」は、若い日本人が忘れかけている日本語の美しさと季節を繊細に感じられる歌でした。

 続いて歌った「はるなつあきふゆ」は永六輔さんの作詞です。この歌が出来たのは、最終ホスピスの患者さんが永六輔に対して、私たちが簡単に口ずさめるような毎日、希望の持てる歌を作って欲しいと要望があったことがきっかけです。永六輔さんは仕事が忙しく長い間作詞活動を休止していたため、しばらくこの依頼実現に向けた取り組みをしていませんでした。そのうち、永六輔さんに依頼した最終ホスピスの患者さんが亡くなったのです。この知らせを聞いた永六輔さんは、取り返しのつかないことをしてしまったと感じ、20数年ぶりに作詞したのが「はるなつあきふゆ」です。

 当たり前のように生きて季節の移ろいを感じている私達ですが、人生において過ぎ行く季節を毎年健康で感じられることは、かけがえのない瞬間です。また訪れた暑い夏に対して、早く暑さが過ぎ去って欲しいと願うばかりですが、来年の夏を元気で迎えられるという保障はどこにもありません。夏の次は秋が来る、季節は巡りますが今年の秋を元気に迎えられることは誰にも分かりません。それほど不安定な人生を歩んでいるのですが、健康なうちはそのことに気づきません。

 人生の王道を歩んでも、季節を感じられるのは100回あるかどうかです。多くの人は人生において二桁の夏を迎えるだけですから、文句を言わずに訪れる季節を楽しみ、過ぎ行く季節を感謝して見送りたいものです。そして次に訪れる季節を感じられる日常を送りたいものです。
 季節を感じられるとは自然の中で人生を過ごしていることです。自然と一体となる時に感謝しないで、暑いとか寒いとか嘆くのは止めたいものです。

最後に歌ってくれた「二度とない人生だから」は、人生は一度きりであることを改めて知らせてくれました。毎日、日は昇り日が沈んでいることに何も感じませんが、誰の人生も二度目はないのです。今の人生を後悔のないように過ごすべきです。
 私にとっても今まで生きた時間よりも、残りの人生の方がもう少なくなっています。永遠に続くように感じる時間の中を生きていますが、出会う人から、大地から、暮らしているまちからエネルギーをもらって生きています。人生の後半はエネルギーを与え成長させてくれたこれらの人達にお返しをしたうえ、出来ればプラスに転じるエネルギーを残したいものです。

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