平成17年5月29日、日本タービーで圧倒的一番人気を得たディープインパクトが皐月賞に続いて二冠を達成しました。無敗のダービー馬誕生は勇気を与えてくれるものです。
競馬はドラマ性を持った競技です。私達の人生に影響を与えてくれた名馬もたくさんいます。競馬好きな人にとって思い出のある馬は様々でしょうが、私の場合は何といっても思い出の馬はテンポイントの他にありません。競争タイムや優勝レースは相手にもよりますから時代を超えた比較はできません。5冠や7冠を勝った名馬もいますが、テンポイントが最も強くて美しく忘れられない名馬です。
4歳時(現在の3歳馬)の三冠レースはライバル達に屈し、暮れの有馬記念でも生涯の宿敵トウショウボーイの二位に破れて栄誉はひとつも取れませんでした。明け春の天皇賞を勝ち一冠を取りますが、宝塚記念ではまたも宿敵に敗れます。最後のTT対決となった昭和52年の有馬記念での宿敵トウショウボーイとの一騎打ちは日本競馬史上最高のレースです。スタートからゴールまで他馬を眼中にしないマッチレースは興奮と感激でした。
そして海外遠征の走行レースと位置づけた昭和53年1月22日の日経新春杯、雪の舞い散る中、66.5キロを背負った流星は散ったのです。後ろ足骨折で生命の危機にさらされたのです。通常なら予後不良で安楽死処分されるのですが救出するための手術が施されました。結果は42日間の闘病生活の末、生涯を終えることになります。
16歳の時に巡りあった流星が見せたドラマは、未だ描かれていなかった人生を学ばせてくれました。ライバルの存在が自分を大きくしてくれること。自分と周囲が共通の目的を持つことで夢は達成出来ること。挫折があっても懸命に生きることこそが尊いこと。人生は長い短いではなく如何に充実させるかがテーマであること。生命には限りがあること。
テンポイントから教えられたことです。
昭和53年3月5日テンポイント死亡、信じられないことにあれから27年の歳月が過ぎています。人生は本当にあっと言う間に過ぎ去ります。
日々真剣に生きることを教えられたのに、主体的に真剣に生きているのか自問しても答えられないのです。私の10代の頃、人生のわずかな時間を駆け抜けていった流星を今も鮮明に覚えています。
今ではテンポイントを知っている人の方が少なくなっています。TT宿命の対決も、27年前の生命をかけたドラマも歴史の中に埋もれています。どれだけ真剣に生きても、自分なりの結果を残しても、時間の経過は容赦なく私達が生きた道を消し去っていきます。時代は新しい希望を待望していますし、現代社会においては立ち止まる時間すらなくなっています。
いずれ自分が生きていた事実も歴史に埋もれてしまいます。だから適当に生きるのか、それでも真剣に生きようとするのか、選択するのは自分以外にありません。結局、他人からの評価されることを望んでも、歴史は個人の評価など決して刻もうとしません。それよりも自分で納得出来る生き方を選択した方が後悔しないのです。
10代の頃、人生は簡単だと思っていましたが、40代の今、時間だけが経過して納得出来る成果を得られていないことに愕然とします。人生で答えを出すのは難しいものです。
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