184.日常の風景
 子どもは気持ちの優しい人を本能的に見分けます。その人の前では本当に嬉しそうな笑顔を見せてくれます。子どもが元気になり能力を発揮出るのは、伸び伸びした環境であることを思わせてくれます。ある年齢になると、自然と台所のお手伝いをしてくれるようになります。小さい子どもですから水を床面に飛ばしたり皿の洗い落ちもあり、フォローをする作業が待っていますが、それでも小さい子どもが一所懸命にお手伝いをしようとする気持ちを第一に考えてあげたいものです。
 後片付けの手間がかかるからと、この段階で止めさせるとやがてお手伝いをやってくれなくなりますし、子どもの気持ちを無視して悲しませる結果になります。子どもが家の手伝いをしなくなるのも、子育て段階の親に原因があることに気づかせてくれます。

 おばあさんの家に遊びに行った時、子どもが並んで夕食の手伝いを行い、食後後片付けの手伝いで皿洗いをしてくれる姿を見ると微笑ましくなります。豆をの皮をむきキャベツを刻むことをおばあさんから教えてもらっています。この瞬間は母から孫へ家庭の技術が伝わる貴重な時間であること、世代が交わることの大切さを肌で感じることが出来ます。
 自分も忘れているのだろうけれども、きっと子どもの頃に親から伝えられた大切なことがたくさん記憶の引き出しにあることを教えてくれます。何気ない日常の風景の中での親は子どもへ、それぞれの家庭における文化を自然に引き継いでくれています。朝起床して直ぐの挨拶、「いただきます」の言葉、学校へ行く時の「行って来ます」と「いってらっしゃい」の挨拶、「ただいま」と「お帰り」の挨拶、夕食を作っている時の包丁とまな板の音、どんなに疲れていても先に子どもをお風呂に入れてくれる親、安心して眠るまで添い寝してくれる姿、時々夜中に目が覚めて隣に親がいない時に感じた不安感、そして翌日の朝、子どもよりも遅く寝ているのに、当然のことのように子どもより早くから起き、いつも朝食の準備が出来ていました。

 当然のようにしてくれていたことが、親の立場になると実は当然でなかったことにも気づきます。疲れて迎えた休日前の翌朝には、子どもが元気一杯に先に起きていることもあります。「いってらっしゃい」と送れない日もあります。当たり前のことでも愛情を持って繰り返すことの難しさを感じます。
 でも、当たり前のような生活習慣が今の自分を築いてくれています。毎日の習慣の積み重ねが子どもの人格を形成していきます。親が与えてくれた生活は何でもないようですが、自分の人生の大切な時間を割いて子どもに分け与えてくれた時間の塊です。今の自分の根元を養分の豊富な土のようにしっかりと支えてくれています。
 普段は気づかないのですが、母と孫の共同作業風景を見ているとその存在の大きさを感じます。記憶の残っていない小さい頃から両親の元を離れるまで、毎日のように注いでくれたて愛情が、子どもの性格や行動をも決定しているような気がします。

 習慣は第二の性格といいますが、習慣が性格を作っているのは間違いないと思います。優しい親からは優しい子どもが育ちますし、人のことを大切に思う親からは、他人との協調性のある子どもが育ちます。習慣は自分だけで築けるものではなく、良い習慣をつけてくれたことに感謝すべきものです。
 こどもの日の今日、柏餅を昔と変わらずに子どものために用意してくれています。昔から伝わっている習慣は日本人にとって意味のあるものですから、それを次の世代にも伝えていくことが継承した人の義務です。
 しかし大切な日常生活なのに、当たり前すぎて描写がとても難しいことを感じるのです。

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