140.農家の話
 農業を50年続けてきた人の話を聞きました。大変な仕事を50年も続けられたのは何故ですかという質問に対して、その農家の方は「50年ではないよ。たった50回お米を収穫したに過ぎないのですよ」と答えたそうです。
 一生かけてもお米を収穫できる機会は50回だけですから、毎年全力で取り組む必要があるのです。手を抜いていてはその年の収穫が疎かになりますから、人生を生きることを真剣に考えている方ならそれは出来ないのです。
 議会活動も一緒です。平成17年4月が来ると、当選させていただいてから2年が過ぎますが、私が本会議を経験したのはまだ7回ですし、4年間の任期を務めても16回だけ経験するに過ぎないのです。当然のことですが、1回1回に全力を尽くす必要があります。年数ではなく、毎回の議会活動を充実させることが良い結果を導いてくれますし、それが積み重なると成果となります。
 それにしても、個人の人生で経験が可能な体験は限られています。一生を通じて体験してもお米作りでも50回だけ、本会議は一期務めて16回、長いと感じる中学、高校生活でも季節を3回繰り返すだけです。プロ野球で超一流と呼ばれる投手の基準は200勝ですから、10年以上現役を続けても生涯200回勝つだけです。

 実はその道のプロではない人が他人の残した実績を数字で見るだけでは、そこに到達するための隠れた努力、結果の偉大さは分かりません。お米を50回収穫しただけと言いますが、一回でも体験したことがある人なら50回は凄い数値だと感じます。議会活動をした人なら、本会議での一般質問を重ねる大変さが理解出来ます。野球経験のある人なら、プロ野球で1勝することの難しさと高い技術レベルが分かります。
 その道で一生懸命な人の評価は第三者が下すことは出来ません。道は違っても、目指すべき到達点を高いところに置いている人同士ならお互い認め合うことは可能です。そのレベルにいると自分に挑戦しているだけですから、他人を気にすることはありません。
 職業や地位は人のレベルを図るためには何の関係もありません。自分の選んだ道で高いレベルに到達することを目指すことが、やがてその道において大きな数値を残すことになります。残された数値の偉大さは同じ道を歩む人には分かりますし、後に続く人の目標にもなります。

 記録よりも記憶に残る人と言う表現がありますが、記録をある程度残しておかないと記憶には残らないものです。人一倍の努力を重ねる人だけが、記録を残すことが出来るからです。何もスポーツやビジネスの世界だけではありません。家庭でも毎日明るく楽しい食卓を築き、健康と季節感に応じたメニューを考え食事を提供してくれる人も素晴らしいのです。家族であっても毎日継続して人のために尽くす、その積み重ねた数字の重さは子どもには伝わります。その姿に触れている家庭や子どもは、社会的に歪むことなく正しい道を歩むのは間違いありません。
 家庭で記録を積み重ねることも人に影響を与えますし、人を育てることにも直結しています。食事を365日作っているだけだよと聞いたとしても、それは私には出来ないことですし、高いレベルで数値を重ね人生を生きていると感じます。

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