黒部川第四発電所、通称「くろよん」は、石原裕次郎と三船敏郎主演で黒部ダム建設の苦闘を描いた「黒部の太陽」や中島みゆきが紅白歌合戦で「地上の星」を歌った場所として有名なところです。
この「くろよん」は、戦後の経済復興で電力不足が顕在化したため、それを解決するための切り札として建設に着手された水力発電所です。水力発電所の敵地とされ大正6年12月から調査をされながら、峻険な地形と冬の豪雪など人が入ることを拒絶する厳しい自然環境がそれを阻んでいました。当時、世紀の大事業と言われた「くろよん」建設は、昭和31年に着工し7年の歳月をかけて昭和38年6月に完成しました。
総建設費は513億円。当時の関西電力の資本金は映画「黒部の太陽」のせりふでは100億円でしたから、資本金を大きく上回る社運をかけた工事だったのです。
当時の大田垣関西電力社長は「成功が100パーセント見込める事業を実施するのは経営とは言わない。70パーセントの確率で先を見通して実行するのが経営だ」と言いましたが、リスクを恐れない決断をするのが最高責任者です。これは現代でも、企業や地方自治体経営でも通用するスピリットです。判断に迷った時、大きく日本の情勢を眺めて適切に判断することが出来る人がいると時代は前向きに進展します。舵取り役となる人の決断で時代や地域社会のその後は大きく変わるのは確かです。
黒部ダム建設により深厚な電力不足は救われ、日本の高度経済成長を支えました。
「くろよん」の発電出力は335,000kWで、当時では大きな発電能力を持っていましたが、今の発電所と比較するとそれほど大きなものではありません。例えば原子力発電所なら一基で発電出力100万kW程度ですから、規模で比較するとはるかに小さいものです。
でも歴史で果たした役割は消えるものではありませんし、「くろよん」なくして経済発展はあり得ませんでした。
ダム建設だけで7年以上も要した難工事の場所を、今ではトロッコ列車、トンネルバス、トロリーバスなど活用すると5時間程度で通り抜けが出来ますから、世紀の難工事の様子をうかがい知ることは出来ません。困難に満ちた工事と苦難の決断、それをやりとげる勇気と日本を支えようとする気概があって初めて実行可能となった「くろよん」の建設です。今でも日本の発電所のシンボル的存在として、高いところに位置しているのは確かです。
宇奈月駅から黒部川第四発電所、黒部ダムへ抜けました。途中、難工事の場所として当時160度の高温であった灼熱ずい道、大地溝帯を横切る破砕帯もありました。破砕帯では地下水が噴出して工事が何度も中断、技術的に無理だとされて黒部ダム建設残念も横切ったそうです。それをやり遂げられたのは決してあきらめなかったからです。
何よりもこの工事では約170人の方が生命を落としています。戦後の日本を支えるために犠牲となった尊い命です。黒部ダムには慰霊碑が作られていますが、これを見るたびに歴史を作ったのに歴史に刻まれることなく世を去っていった人に感謝したくなります。
エピソードも知られていない無数の地上の星は確かに存在しています
|