かつてどこの市でも市民病院は、まちの中心部付近にありました。生活の中に病院があることで利用がしやすく安心できるからです。近年、多くの市民病院では老朽化が進行し建て替えの時期に来ていますが、地域社会の高齢化に伴う病床数の増床と駐車場を確保する必要があるため郊外に移転する場合も多くなっています。
最近訪れた市民病院でも、待合室などにいる患者さんは高齢の方が大半でした。この場合、利用者からすると郊外に移転された場合、車に乗れない高齢者の皆さんは利用しにくくなります。
また市民病院を利用する方は、結果として中心部を訪れることになりますから、通院の前後に周辺の商店街で買い物をすることがあります。通院、見舞い送迎の人などにより賑わいを見せていた光景もありました。
利用者の利便性や中心部の活性化のためにも、元位置が適していると話してくれる人がいるのも事実です。郊外移転の場合でも元位置での建て替えでも問題は発生しますが、問題は議論の過程にあります。文句と批判を思いつきで言うばかりでは納得のいく結論を導けません。計画案を元に問題点を抽出し議論することで問題点を潰していく過程を経ることが大切です。全員が納得できることはありませんが、少なくても歩み寄れる努力をしたことになります。
押し切るのと話し合うのでは結論が同じになったとしても、納得できる割合は異なってきます。実施するに当たって納得している人の比率が多いのと、不満を持つ人の割合が多いのとでは成果は違うのは当然のことです。それにしても、多くの人が納得する結論を出すことの難しさを感じます。
ある市民病院が郊外に移転し竣工した時のことです。市議会で議論され移転を計画した市長も信任されています。正式に議論を尽くしているから問題はありません。少し気になるのが、竣工式の場で「移転したのは仕方ないけれども後が大変」などの挨拶があったことです。議論に関わっている人達がお互いに納得するまで話したのか疑問が残りますし、議論を尽くしたのであれば竣工後までしこりを残すのは良くないことです。
正式に結論を出し移転することになったのですから、今考えるべき問題は、どうして上手く活用するのか、赤字を減らすように運営するのか、利用者の利便性を図るのかなどです。議論の主題は変化しているのですから、状況を認識しておく必要があります。
思うに民主主義では、ある事柄を決めるに当たっては徹底的に議論をする、そして少数意見も尊重しながら結論を出し、その後は決定した結果に基づいて上手く運用出来るように協力することが大切です。その結果に対して多くの人が不満を感じるのであれば、そのような結論を導き出した代議員を選んだ私達に問題があることになります。
私達は同じことを繰り返さないためにも、納得できる人を代表に選ぶ見識が求められます。代議員という間接民主主義を採用していますが、本質的に方向性を決めているのは紛れもなく私達の意思です。自分が納得するとは自分が意思を持つことに他なりません。
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