高野熊野が世界遺産に認定されていますが、道で認定されたのはスペインのサンチャゴの道に次いで2番目の快挙です。サンチャゴの道はキリスト教信者の道であり、熊野古道とは1998年に姉妹道提携を締結しています。どちらも信仰の道として同じ時期から祈りの道として栄えてきたものです。
道としては世界で2番目の世界遺産です。日本で12番目ではなく世界で2番です。世界で二箇所だけの世界遺産ですから価値が違います。
熊野が信仰の道として栄えたのは、万物共生の考えを持っていたためです。これはどんなものでも誰でも同じ価値を持って迎え入れることを意味しています。貴賎や浄不浄、性別に関係なく、受け入れてくれる信仰は稀でした。熊の信仰には懐の深さがあったのです。
江戸時代中期には、現在の田辺市に一日800人が宿泊したと記されています。一年に換算すると300万人ですから、如何に熊野信仰が庶民にも定着していたかが分かります。
和歌山県生まれの細菌学者南方熊楠氏は大正時代に「自然の破壊は世界の破壊」を世に訴えています。当時は自然に価値があると考える人は少なく、日本中の学者、政府関係者から批判を浴びました。味方はごくわすかでしたが、それでも南方熊楠氏は人と自然との共生を訴えつづけました。その価値が認められたのは21世紀になってからです。しかも高野熊野が世界から認められたのですから、世界がその価値を認めるまでに100年も要しています。新しい価値が認められるまでには、主張する人は少数派ですし批判も浴びます。しかし本物であれば後世が評価してくれます。
南方熊楠氏はロンドンに留学中、産業革命後のイギリスを見てきました。木が切られ、森が壊されている状況を見て自然を守る大切さを感じたといいます。日本ではその光景を誰も見ていないので、自然の価値を理解してくれる人は皆無でした。
南方熊楠氏の取り組みから、先進地から学ぶことと時代を読み取る視点を持つことの大切さが分かります。今の私達は100年後の評価に耐えられる仕事をしているのでしょうか、考えさせられます。
改革に必要なものを知るもうひとつの逸話があります。
弁慶と義経の話です。二人は巨大なお寺の釣鐘を、どちらが先に動かせるか勝負したそうです。弁慶は力で揺り動かそうとしたのですが、びくとも動きませんでした。義経は指先で小刻みに突き続けました。小さな力でも積み重なると大きな力になります。やがて釣鐘は大きく揺れることになります。
世間の人が揺れに気づくのは、揺れが大きくなってからです。事象を見ると突然大きな揺れが始まったように思うのですが、大きな揺れに至るまでには小さな努力の積み重ねがあるのです。小さな変化を継続する姿勢が大きな変化につながります。
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