48.考古学から学ぶ
 考古学はモノを通じて歴史を考える手段です。地球上に生命が誕生してから35億年ですが、私達の遺伝子(DNA)はその35億年の歴史を受け継いでいます。元々、生命は細胞分裂を繰り返して生命を残してきました。基本的に同じ生命体が生き残ってきたわけです。 

 人間に例えると、私という人間が分裂によってもうひとり誕生するようなイメージです。
 ところが生命は死というシステムを採用しました。 死は生命にとって最大の恐怖なのに、不思議な選択です。
 生命が死を採用したのは、より長く生きるためです。同じ素質を持つ生命は、やがて環境変化に対応できなくなります。分裂だと同質の種が増えることになりますから、環境の変化に対応できないでやがて絶滅に向かいます。
 
 そこで生命は、性を誕生させることで違うタイプの組み合わせにより、異質の生命体をつくることで進化させています。このことで、その時の環境に適応した遺伝子を持つものが生き延びることが可能となったのです。ここで遺伝子の素晴らしさは、いらない遺伝子情報もリセットせずに残していることです。ある環境下で劣性遺伝であっても、環境が変わると優性となり必要な遺伝子になる可能性があります。そのため全ての情報は遺伝子に書き込まれているのです。
 つまり私達の遺伝子には35億年の生命の歴史が全て刻み込まれているのです。この生命の歴史の積み重ねをもって、神から与えられた生命で生かされていると表現することがあります。
 ただ一度与えられた生命を自分だけのために使うのではなく、新しい生命の歴史を刻むために使うことが求められているように感じます。私達が死に至ると自身が持っている知識と経験はこの世から消え去りますが、人類にとって後に残るものがあります。
後世で使えるものを残すために今の生命があると言えます。
 
 生命の歴史を判断の基準にすると感謝の念が最初にきます。差別やランク付けによって人の価値を定め、それをお金に変える行為は正しいこととはいえません。
 自分の生きた足跡を後世に伝えられる生き方をすることが、生命を与えられている私達に求められています。
 
 今ここにいるのは自分の力だけではなく、生命の連鎖の中で生かされているものだとすれば、私達はそれぞれ何かの使命を持っているから生きていると考えられます。死は自分の役割を果たした時か、その役割を一定の段階まで進めて後進に託すべき時期に迎えるのかも知れません。生命ある限り、自分の関わっていることだけでも前進させることが、生きている私達に求められているのです。

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