10.比較する
 他人との比較、気になりますよね。試験の点数や置かれた立場など、他人と比較することで、自分のポジションを確かめることが出来ます。
 社会では、常に競争にさらされています。学校の成績、学校名、就職先、会社での出世、社会的地位などがそれに該当します。競争自体は悪くありません。結果を出すためには真剣さが必要であり、真剣になるためのひとつの要素として競争があります。競争することで、自分の能力がどの分野に適しているか判明し、成果をあげる契機にもなります。ですから、競争のない社会のしくみは決して公平ではないと思います。
 でも、その結果を比較することは無意味だと思います。比較した結果、順位などを気にしすぎると精神的に不安定になります。何よりも、目の前の人とだけ比較しても全く意味が無いのです。

 例として、難関資格のひとつに司法試験があります。受験では、自分よりも成績が良い人の足を引っ張ろうとする人が現れます。毎日夜中に無言電話をかける。模擬試験で消しゴムを隠す。もっと酷くなるとトイレのペーパーを隠したり、便器を汚したりする。こんなことが起こっているのです。  
 確かに、精神的につらい試験ですから、このような仕打ちをされると勉強に身が入らなくなり、成績を落とす人がいるかも知れません。
 でもこの試験は、ライバルの一人や二人蹴落としても意味がない試験なのです。1点のところに何千人もひしめき合っています。1点違えば1,000番順位が違うこともあるのです。
 つまり、自分の周りの人を実力以外の力を使って追い込んだとしても、順位をひとつあげるのに、まだ1,000人程いるのです。順位をあげようとすれば、未だ見ぬ全国のライバル達に対しても手段を講じなければなりません。こんなことは不可能ですし、仮に出来る方法があったとしても多大な労力を要します。
 そんなことを考えてみたり、正当でない手段を使うよりも、自分の実力をつける方が早道です。実力を向上させれば、他人の成績は全く関係ないのです。
 つまり、大きな仕事をしようとすれば、他人と比較することがいかに無意味か分ります。社会で物事を成そうと思ったり、この国や世界を相手に仕事をしようとするなら他人との比較は無駄です。実力を持っていることだけが、同じ土俵に上がって戦える条件です。
 器の小さな人間は、自分の所属している場所だけを気にしますから、比較して上を行く人を蹴落とそうとします。そこでは通用するかもしれませんが、所詮その程度です。
 
 自分を高めるための手段として競争することは必要です。その結果を受け止めて、更に自分の実力を向上させる努力をすることが大切なのです。結果を見て他人と比較することは無意味です。

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