コラム
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2018/12/6
1738    ありがとうの言葉

母親は「『子どもに迷惑をかけたくないので、朝になったら死んでいるような終わり方をしたい』と話していたよ」と伝えてくれました。自分の終末まで子どもに迷惑を掛けたくないと思っていたようです。そんな時、ある医師が「ピンピンコロリのような死に方、苦しまないで死ねる人は本当に少ないですよ」と話していたことを教えてもらいました。

「お母さんが望んでいたこと、しかも難しいこと、さらに子どもに迷惑をかけないでいたいという思いが伝わったと思います」と言葉をいただきました。僕としては迷惑をかけて欲しいと思いますし、もっと、もっと、もっと会いたかった、話したかったと思っているのですが、母がいないという現実を受け入れざるを得ないのが寂しいです。

でも多くの人から「お母さんは幸せだったと思います」、「子どもの話をしている時は嬉しそうでしたよ」、「章浩君がいるから頑張れる」、「子どものためにできることは何でもやりたい」、「願いは子どもの健康のことだけでした」など母が話していたことを聞かせてもらうと「やっぱり幸せだったのかな」と思うようになっています。

「もっとやりたいことや望みがあったんじゃないかな」と思うことがあります。叔母さんが「そう言えば、来年、東京に行きたいと話していたことがありました」と言う話を聞かせてくれました。母は東京に行ったことがないのです。「そんな簡単なことをしてあげられなかった」という後悔の念を感じます。「簡単にできることなのに何故やれなかったのか」そう思うと「ごめんなさい」と言葉にしています。

でも叔母さんは続けて「『章浩が今日来るからおかずを用意しています』と話していましたよ」と話していたことを教えてくれました。平成30年10月3日のことです。叔母さんが赤飯を炊いてくれたので母がおかずを作って誕生日をお祝いしてくれたのです。

さらに続けて「『章浩が家に来てくれたのでコロッケ4個、食べてくれました。美味しいと言って全部食べてくれました』と嬉しそうに連絡が来ていましたよ」と話してくれました。どちらもとても些細なことですが、母にとっては重要で幸せな出来事だったかも知れません。僕が家に来てくれることをとても楽しみにしてくれていたことを知り、「もっと会いに行っておけば良かった」と思うばかりです。行きたい時に行ける人がいる。行ける場所がある、こんな幸せなことはありません。しかも絶対的に味方なのですから安心感が違います。

「僕のお祝いに赤飯を食べてもらう。僕のためにおかずを作る。僕にコロッケを食べてもらう」、こんな出来事が自分の幸せだと感じてくれる人は他にいません。

いつも「今日食べに行くから」と言いながら、仕事の関係で実家に行く時間が遅くなっていました。母からはいつも「いつごろになりますか」とラインが来るのです。僕は「もうすぐ行きます」とラインで返事をして実家に向かうのです。

母からは「突然言ってくるから何もないよ。先に言ってくれていたら用意しておくのに」と何度も言われました。僕は「次は先に言うから」と言いながら、その次も「今日、行くから」と話しながら、実家にはやはり遅れていくのです。また「いつごろになりますか」と母からラインが来ます。同じことの繰り返しですが、振り返るとこれも幸せな時間だったと思います。

「お母さんは章浩君が来ることをとても楽しみにしていましたよ」と話してくれたように、子どもといる時間が幸せな時間だったと今は思っています。

損得なしに、自分のことを考えるのではなくて僕の幸せだけを考えてくれている母には感謝の言葉があるだけです。

他にも母が言う言葉はいつも「食べていますか」、「時々、休むように」、「無理はしないように」、「体に気をつけて」、「いつでもおいで」などでした。考えてみると、こんな言葉をかけてくれる人は他にいません。「母の思いを知って母への気持ちを伝えたら良かった」と思うばかりです。

母はどんな時も僕の味方でした。こんな素敵な母から生まれて、育ててもらって、成長させてもらって、本当に幸せな日々を過ごしていたと思います。当たり前のような幸せな日々を、これが幸せな日々とその時に感じられたら、幸せ度はもっと増すと思います。

母との時間、母との会話で幸せな時間をもっと感じたかったと思います。今日も感謝の言葉しかありません。「本当にありがとう」。