コラム
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2013/9/17
1327    時間の経過

本当に駄目なことだと思っています。予定が詰まっていることを自分で自分に言い訳をして、父親や母親のところに行く時間をなくしています。言葉を変えると両親との時間を削って他の用事に時間をまわしているのです。これは本当の姿ではないと思います。もっと時間を確保して大切な時間にしなければと思いながら、それが出来ていないことを反省しています。

新しいお墓の建立と竈山神社の清掃を行った日、両親と会うことができました。お墓のあるお寺の墓地は階段を登らなくてはならないので、年齢を重ねると登るのが厳しくなりますが、そこから見渡せる和歌の浦の景色はとても素晴らしいのです。僕も、いつかここから和歌の浦の景色を見続けることになる日が来ると思います。

お墓にお参りすると、いつも先祖が守ってくれていることに感謝します。そしてどんな状況にあったとしても、今がとても幸せな時間であることにも感謝しています。もうひとつ感謝していることが、これから先も変わりなく幸せな人生を過ごしていることへの感謝です。

自分の名前で新しいお墓を建立することになりました。出来る時にやっておきたいという両親の願いもあってのことです。自分がお墓を建立する年齢になるとは夢にも思いませんでした。子どもが青年、そして大人になり、そしてピークを迎えようとしています。峠にある光景を見ることが出来る年齢になろうとしています。

果たして登ってきた人生がどんなものであるのか、そしてその先にどんなことが待ち受けているのか。これから見ることになります。自分のルーツをここに定められたことで、安心して生きることができそうです。

その日の午後、竈山神社の清掃をした後、次の予定地に向かうので、「時間がないかな」と思ったのですが、「どうしても今日、行かないと」と思い父親を訪ねました。顔全体から少し表情がなくなっていますが、笑顔で迎えてくれました。

「どうしたん」と何もなかったかのような迎え方をしてくれました。「何もないけれど、たまには顔を、と思って」と答えて会話が始まりました。横に座ると父親の足がこれまでよりもずっと細くなっていることに気付きました。ベッドに横になる時間が多くなると、どうしても筋肉が落ちてしまいます。リハビリテーションをしているようですが、現状維持が精一杯で、寂しい事実ですが筋肉が元に戻ることはないと思います。

そして手も以前よりも細くなっています。年を取ることは筋肉が痩せ、細くなっていくことかなと思います。「秋になって涼しくなったら帰ろうと思っている」と、明日に希望を持っていることに嬉しく感じました。「今年の夏は暑かったから、いつも涼しくて快適な病室でいられて良かったと思うよ。まだ外は暑いから帰らない方が楽で良いよ」と、少し寂しい返事を返しました。

「帰れる日が来るのだろうか」と過ぎりましたが、幸い発熱や体調変化がないので、このまま元気でいてくれると思っています。家に父親の姿がいなくなって数ヶ月経過しました。時間の経過は、不自然だった光景も見慣れた光景に変化させました。

「元に戻らなくても良いから、このままでいて欲しい」。傍にいると声にはできないけれど、そんな思いが込み上げてきます。時間を持てていることは素晴らしい。でも時間の経過を止めたい時もある。今を幸せに感じていると、そう思う時があるのです。