明日からお盆を迎えるにあたって、叔母の初盆とお墓参りに行ってきました。叔母と伯父のお顔を見ると「久しぶりに会うと懐かしいな」と思いました。写真の表情は笑顔で生き生きとしていますから、今もここにいるように思います。既に旅立ってしまっていることはお線香に火をつけた時に感じました。お盆は両親たちに会える時期でもありますが、過ぎ去った時の懐かしさを感じる時期でもあります。
続いてお墓参りです。酷暑の夏の影響もありお墓の水は枯れていましたが、お花は生き生きとしていました。常にお花が生き生きしているお墓であることを嬉しく思います。お盆は先祖が帰ってくる時期ですが、今年の暑さをどう感じるのだろうかと思います。不思議なことにお盆のお墓参りをすると、思い出すのは大きくなってからのことではなく子どもの時のことです。何故か、若い頃の両親に包まれていた日々を思うのです。両親の魂は若い頃に戻っているので、私の心もそれに合わせて子どもの頃に戻っているのでしょうか。お墓での会話はその頃のままのように感じます。
それと思い出したことがあります。お墓に置かれたコップのお水が枯れてなくなっていると「のどが渇いているから、たっぷりとあげないとね」と言ってたくさんのお水を注いでいた母親の姿です。今もお墓のお水が枯れていると、眠っている先祖が「のどが渇いている」と思ってしまうので、優しい氣持ちになります。
お墓を磨く、雑草を取り除く、お花を入れ替えてお水を注ぐ、お線香を備えてお参りする。たったそれだけの行為ですが、一緒にお墓参りをした時の思い出と共に優しい氣持ちになれるのです。そう言えば子どもの頃、お寺から墓地に上がる階段を駆け上がった時、母親は「この階段は段々ときつくなってきた」と言っていたのですが、「そんなことはないけれど」と思っていました。しかし今は「墓地に上るこの階段はきつい」と感じます。
そう言えば、昨日、仏壇にお参りに来てくれるお坊さんが息子さんに変わっていました。お坊さん二人が手分けしてお参りに行っているように思いますが、年を取った父親のお坊さんが檀家回りの経験を積むためか、この酷暑のため休息を取り息子に譲っているのかもしれません。このような何でもないことに思いを巡らせることも楽しいことだと感じます。
やがて世代は変わっていきますが、世代が変わってもこの平和な時代が続いていることを願わずにいられません。お盆の時期は先の大戦の終戦の日と重なっていることもあり、お盆の季節は先祖の供養と共に平和を願う季節でもあります。戦後、両親たちが歩んだ平和に向かう時代を忘れることなく、語りつぐことが平和を維持するために必要なことです。初盆のお参りやお盆のお墓参りは両親や先祖への感謝の氣持ちと共に、日本の平和、そして世界平和を願う時間となります。有難いことに、年齢を重ねて、このことに氣づくようになりました。
さて、子どもの頃の夏休みに30度を超えると「暑い」と思っていましたが、今は30度だと「今日の暑さはましな方」と感じるようになっています。猛暑から酷暑へと表現が変わり、「危険な暑さ」と報道される夏になっています。外で活動することが厳しい環境になり、夏休みなのに子ども達の遊ぶ姿も消えて久しくなっていますし、ビアガーデンも暑さのあまり行く機会が少なくなっています。
お盆に帰ってくるご先祖様は「今年の夏のこの暑さはどうしたものか。生活スタイルを変えないと地球はますます危険な状況になっていくぞ」と言いそうです。地球温暖化は本当なのか太陽フレアの周期の影響なのか分かりませんが、現実に酷暑となっているので温暖化への対応が必要だと思います。お盆の時期は暑さがピークなのですが、それにしても暑いお盆を迎えています。お盆のお参りだけで体力が消耗してきますから、皆さんも氣をつけてください。