SNSの活用をしている専門知識のある方と会議を行いました。テーマは「選挙戦におけるSNSの活用について」でした。今回の参議院議員選挙でもSNSが活用されていますが、政策を知ってもらう意味で活用している例もあれば、批判中傷の発信もあります。良い発信と悪い発信に分けられると良いのですが、それができないことが厄介です。
憲法では表現の自由が認められていますが、行き過ぎた批判は内容によっては人権問題になり得ます。今回の特徴は、両陣営からのSNS発信ではなくて、第三者が発信している点にあります。どちらとも関係のない人がSNSで両候補の情報を発信しているのですが、ある一面を捉えて私見を加えています。公の場での発言などの事実に基づいて私見を伝えることは問題ありませんが、それを元にして対抗するようなSNSが登場しているので、発信している内容がどんどんエスカレートしています。政策を訴え合うことは良いことですが、批判合戦は控えるべきです。批判は後々に響きますから、終了後のノーサイドに落ち着かないことも考えられます。第三者だけの発信であればノーサイドの可能性はありますが、関係者からの類似の発信は後々に響くことになります。
正々堂々と戦っている候補者からすると、第三者や周囲からの批判中傷は迷惑な話です。
友人から、現在、各地で予選が始まっている夏の甲子園大会の地方大会を指して「高校野球のように正々堂々と戦えばよいのに」と言葉がありましたが、本当にそう思います。お手本を見せるべき大人が批判中傷を繰り返し、高校生が正々堂々と試合をしているので、大人はお手本になっていません。高校生に対して今回の参議院選挙和歌山選挙区の戦い方を、どう伝えればよいのかと思ってしまいます。
専門知識のある人は「東京では早い段階からSNSで選挙戦の発信をしていたので、活用方法はある程度のところに落ち着いているように思います。ところが和歌山県の場合、古い選挙戦が残っていて、さらにSNS活用は遅れているので、良い戦術として活用していないのではないでしょうか。第三者が発信している批判に対して、『相手方がやっている』と思ってSNS発信で批判することでエスカレートしているのです。古い頭の人が仕切ると古い考えで対抗しますから、批判中傷になっていると思います」と話してくれました。
使い方を分かった人が陣営にいると歯止めになるのですが、そうでなければ感情に訴えることになり感情を前面に押し出した姿になるのです。
「歯には歯を、目には目を」を習ったことがありますが、これは紀元前18世紀のバビロニアの王、ハンムラビが制定した「ハンムラビ法典」から来ているものです。同程度の復讐を指す言葉ですが、現在は紀元前18世紀ではあるまいし、報復の応酬からは何も得られるものはないことを多くの人は知っています。ですが同じようなことが繰り返されていることを懸念します。
参議院議員選挙も残り3日間となります。正々堂々と戦って欲しいものです。
憲法と権力との関係や、和歌山県の将来の発展について話し合いました。憲法は権力者の権力に歯止めをかけることが目的になっています。つまり法律と違うので、権力者が都合の良い解釈をするものではなく、憲法に基づいた価値判断は最高裁判所が行うことになっています。そして最高裁で示された判決が判例となり、それ以降の判決の基準になったり、新しい人権を生み出す基になっています。日本国憲法の要諦は基本的人権と国民主権、そして平和主義にあります。その中で人類が長い時間をかけて勝ち得た基本的人権の尊重が謳われているのが日本国憲法で、その価値は日本人が護るべき価値です。
この憲法上、最も重要な基本的人権と幸福追求権に関する条文は次のとおりです。
第11条 国民は、すべての基本的人権の享有を妨げられない。この憲法が国民に保障する基本的人権は、侵すことのできない永久の権利として、現在及び将来の国民に与へられる。
第13条 すべて国民は、個人として尊重される。生命、自由及び幸福追求に対する国民の権利については、公共の福祉に反しない限り、立法その他の国政の上で、最大の尊重を必要とする。
第97条 この憲法が日本国民に保障する基本的人権は、人類の多年にわたる自由獲得の努力の成果であって、これらの権利は、過去幾多の試錬に堪へ、現在及び将来の国民に対し、侵すことのできない永久の権利として信託されたものである。
ところで人権は、イギリスのマグナ・カルタ(1215年)、権利請願(1628年)、権利章典(1689年)、アメリカ独立宣言(1776年)、フランス人権宣言(1789年)などをめぐる市民革命を経て市民が獲得した権利なのです。
このような話を交わしました。