活動報告・レポート
2025年7月9日(水)
たらいの水
二宮金次郎氏の銅像

本日打ち合わせのためKさんの事務所を訪ねたところ、二宮金次郎氏の銅像が飾られていました。Kさんとの出会いは今から20年前のことです。当時から企画力と行動力が凄くて思ったことは即実行して実現させていた方ですが、これまでのビジネスに加え今も新しいビジネスを開拓しています。その哲学が「たらいの水」です。

たらいの水を対面の相手の方にあげようと手で水を押してあげると、左右からこちら側に戻ってきます。相手のことを思って取る行動は、実は自分の徳を積むことになっているのです。逆にたらいの水を自分で取り込もうと考え、手で自分側に水を招こうとすると、左右から水が向こう側に流れていきます。「自分だけが得をしたい」と思って取る行動は自分の利益を失わせているのです。この考えは二宮金次郎の考え方です。

この「たらいの水」の考え方をした二宮金次郎の教訓は次の言葉です。

人間の手は自分のほうへ向いて自分のために便利にもできているが、また向こうのほうへも向いて向こうへ押せるようにもできている。鳥獣の手はこれと違って、ただ自分のほうへも向いて自分に便利なようにしかできていない。人と生まれたからには、他人のために押す道がある。それをわが身のほうに手を向けて、自分のために取ることばかり一生懸命で、先のほうに手を向けて他人のために押すことを忘れていたのでは、人であって人ではない。鳥獣と同じだ。なんと恥ずかしいことではないか。だから、私は、常々、奪う益なく譲に益あり。譲に益あり奪うに益なし。これが天理なのだと教えている。

この言葉を簡単に表現したものが「たらいの水」の話です。Kさんは仕事やご縁をいただいた方々とのつきあい方の基本は「たらいの水」なので、二宮金次郎の銅像を事務所に置いています。今では小学校の校庭からもなくなっている二宮金次郎の銅像ですが、ここには教訓を忘れないために飾られています。

インターネットで探してみたところ「たらいの水」の説明を見つけました。とても良い話なので以下に紹介します。

人間は皆、空っぽのたらいのような状態で生まれてくる、つまり最初は財産も能力も何も持たずに生まれてくる。

そしてそのたらいに自然やたくさんの人たちが水を満たしてくれる。

その水のありがたさに気づいた人だけが他人にもあげたくなり、誰かに幸せになってほしいと感じて水を相手のほうに押しやろうとするようになる。

そして幸せというのは、自分はもう要りませんと、他人に譲ってもまた戻ってくるし、絶対に自分から離れないものだけれど、その水を自分のものだと考えたり、水を満たしてもらうことを当たり前と錯覚して、足りない、足りない、もっともっととかき集めようとすると、幸せが逃げていくんだ。

出典は「はらだメンタルクリニック 院長ブログ2022.01.11」です。「たらいの水」の話をとても分かりやすく説明してくれているので、人に話をするときの参考になります。

二宮金次郎氏の銅像

Kさんは白浜町のパンダに提供していた竹がこれから先は不要となったので、岸和田市と協議をして竹炭づくりに着手しています。竹林は放置しておくと、どうしようもなくなるので、間伐と伐採などの手入れを行い、切り取った竹を約800度で燃焼し竹炭のパウダーにして販売しています。「私は今のビジネスだけで良いのですが、地域からの要望があって社会のお役に立つことであれば、引き受けてしまう性分です。また新しいことに取り組むことになりました」と笑顔で話してくれました。

この姿勢が元気の源だと思いました。また某音楽隊のコンサートの企画も「私のところに来てくれたのはご縁があるからです。頼まれごとは試されごとですし、片桐さんに頼まれたことは嫌と言ったことがないので引き受けましょう。片桐さんが私にと言って依頼してくれた企画なので『私ならできる』と思って依頼してくれたはずです。だから私にできないはずはありませんから引き受けます」と即答してくれました。

「頼まれごとは試されごと」とは言いますが、依頼に対して受けて実践している人は多くはありません。Kさんは「20年以上のつきあいの片桐さんは、これまで余り頼みごとはしてこなかったけれど、今回、依頼をしてくれたことに心から感謝しています。私も実験するのは楽しみですし、子ども達に本物を聴かせてあげたいと思います。やりましょう」と力強く答えてくれました。この心意気に感謝いたします。ありがとうございます。