
木曜日の私の一般質問を傍聴してくれた方から意見をいただきました。
「いやぁ、久しぶりにおもしろかったです。国会も含めて何度も議会を見ましたが、こんなにおもしろい一般質問は久しぶりでした。その理由は、議会は生ものだからです。議会も言葉も生ものなので、言葉には魔力があるので、議員はその場の状況に応じて言葉を使いこなします。使いこなせることが議員の資質ですが、使いこなすことは簡単ではありません。
言葉を使うためには動いていることが必要です。現場に行く、関係者と話をするなどの経験が言葉になるのです。言っているだけで言葉に力がない議員がいますが、それは動いていないからです。そんなことは直ぐに分かりますよ。
片桐さんの言葉は動いてきたことから発した言葉なので押し込む力がありました。質問で押し込めたのは事実と意味を理解していたからです。本質を理解していない人の言葉は軽くなり力のある言葉に対応できません。
また『あの人は力があるから頼むと良い』と言う人がいますが、力がある人にはタイプがあります。
一つは、その人の背後に力のある人が控えていること。相手はその人を見ているのではなくて背後にいる人を見ているのです。欠点は自分で動いているものではないので、本質が理解できていないことです。ロジックではなく抑え込むような言葉を使いますから、背後の人に力がある間は良いのですが、そうでなくなると他力で抑え込んできただけに、直ぐに失速します。
一つは動いて情報を把握、理解して使いこなす人。自力で動いているので権力に頼る必要はありません。本質を理解した言葉に力があるので、動いていない人の言葉では対抗できません。

多くの人は和歌山県でこんな議論を交わしているとは思っていないですよ。この生議会を見て良かったと思います。この議会を見なかった人は実にもったいないと思いますよ。県政が動いている様を感じることができたのですから。私が見た議会の話を友人にしたところ『和歌山県議会はそんなにおもしろかったのですか。和歌山県やりますね。何か動かさないことには、和歌山県に明るさは見込めませんからね。現状を動かすことが議員であり、それができる人は意外と少ないのですね。数で押し切る人たちは個人で戦っている人の凄さを知ることはないと思います。実際は知ることはないというよりも、認めたくないのだと思います。嫉妬や焼もちのようなものです。常に数で押し切るようなことをしていると地域を衰退させてしまいます。本質を理解した人の意見、提言を真摯に受け止めて行動につなげる県は強いのです。それができなければ明るい未来は訪れないと思います。本当のことを知らない人は本質を理解して言葉にしている人に対抗できません』。
それにしてもおもしろい議会でした。和歌山県にいるのにこれを見なかった人は損をしていると思います。自分たちの県の未来を賭けて議論を交わしている場面を見ると感動します。本質の議論をしていることを知らないのでは、見る機会があったのに見なかった人は本当にもったいないなと思います。このような議論を交わしている和歌山県は凄いと思いました」。
以上の言葉を伝えてくれたことに感謝しています。
昨日の議会終了後に伝えてくれた言葉を思い出しました。「昨夜はドキドキして眠れませんでした。こんなに感じたのは遠足の時以来だと思います。片桐さんが和歌山県の将来のことを考えて動いてくれていることを一般質問で取り上げることに対して、知事はどう答えるのだろうと想像すると、ドキドキして眠れなかったのです。知事は肯定するのだろうか。否定するのだろうか。それとも曖昧な答えになるのだろうかと思うと高揚しました。今日、ドキドキさせてもらえた、とても良い議論を見させてもらいました」という意見です。
このような意見を伝えてくれた皆さんに感謝いたします。
- エンジェルさんでの集まりに参加しました。ご一緒した皆さんに県政報告をさせていただき、その後は歌と演奏で楽しみました。
- 紀の川市で起きている案件について話を伺いました。それぞれの地域には個別の案件があり、それを解決するために行動している人がいます。そんな人がいるから解決を図れていることを感じました。
