活動報告・レポート
2025年3月8日(土)
ナームの集い
ナームの集い

「ナームの集い」に参加しました。今回の講師は京都市の念佛寺の廣瀬住職で、一年前に約束していたこの会の講師に来てくれたのです。

法然上人が浄土宗を開いたという1175年の南無阿弥陀仏の心をユーモアと強い言葉で伝えてくれました。「困った時は阿弥陀様に頼ったらよいですよ。何の心配もなくお祈りするだけで救われますから、頼って損することはないので毎日でも祈って下さい」と話してくれました。

理由は、人は誰か自分のことを見守ってくれている人がいることが大事なことだからです。言葉に出さなくても常に見守ってくれているのが阿弥陀様なので、その存在を確認するためにも「南無阿弥陀仏」なのです。

人は見守ってくれる人がいることで安心できますし、今を頑張ることができます。一人でいると頑張れないことも見てくれている人がいることで頑張れるのです。誰もいないと思っていても阿弥陀様が見てくれているので頼ればよいということです。

「でも阿弥陀様は存在しているの。見えないけれど」の声もありますが、見えないものが信じられないことはありません。

例えば地球は丸くて宇宙に浮かんでいて、一日かけて自転しながら一年かけて太陽の周囲を回っています。このことを信じない人は少ないと思います。地球の姿を見たことがないにも関わらず信じています。どうしてでしょうか。科学者や偉い人が言っているので信じているのであって、多くの場合、直接見たことのある人はありません。だから見たことがなくても地球は丸くて太陽の周囲を回っていると信じているのです。

同じように、阿弥陀様を見たことがないけれど存在していないとは言えません。多くの仏教者が伝えてくれていますが、科学的でないなどの理由で信じていない人が多いのです。では科学的でなくて信じていないにも関わらず、困った時には「南無阿弥陀仏」と唱えますし、「神様、仏様」と頼る心を持っています。心のどこかで、その存在を信じているのだと思います。

一次元の世界にいる人には二次元にいる人の存在が見えません。だから突然、横からやってきて「一次元くん、おはよう」と言って来たら、二次元くんが突然、空間から現れたように思います。しかし二次元くんには一次元くんの存在が見えていたので挨拶に訪れただけなのですが。

同様に二次元くんが歩いていると、突然、上から三次元くんが現れると、二次元くんは突然現れたように思います。この場合も三次元くんは二次元くんの存在を分かっていたので、挨拶しただけなのです。

しかし一次元くんと二次元くんは、それぞれ二次元くんと三次元くんが見えていなかっただけで二人は別の次元に存在していたのです。だから三次元で生きている私たちは四次元の世界を知りませんから、四次元の世界の人が三次元に現れたら、突然現れて、突然消えてしまうことになるのです。

もしかすれば阿弥陀様は別次元に存在しているかも知れません。別次元にいる存在は、私たちには見えないのです。別次元から見守ってくれていると思っても良いのです。もしそうでなくても心の中で「見守ってくれている」と思うなら、阿弥陀様は心の中に存在して見守ってくれていることに相違ありません。決して人間は一人ではないので、困った時は人に頼ること、阿弥陀様に頼ってください。

見えないものは存在していないとは限らないばかりか、信じていれば見守っている存在になります。損することはないので頼ってみることも「あり」だと思いました。孤立すると人は耐えられなくなりますが、仲間がいると、見守ってくれている人がいると困難を切り抜けることができます。良い教えを頂き感謝いたします。