年末を控え大楠にお参りに行きました。今年一年のお礼参りでしたが、ここで「クスノキの番人」に会うことができました。僕を見つけると「片桐さん、来てくれたのですか。実は昨日、片桐さん『元気にしているかな』『議会で忙しいと思うけれど訪ねようかな』と思っていたところです。今日、会えたことに驚いています」と迎えてくれました。僕も今日、番人さんと会えるとは思っていなかったので嬉しく驚きました。
番人さんは「私は大楠から人生を学ばせてもらっていることに氣づきました。この年齢になっても健康でいられるのは、大楠から『日課としてここにおいで』と誘ってくれているからです。人は社会と接点を持つこと、人と出会うことで学び続けることが大事なことで、大楠の周囲を掃除するなどきれいにしていることで出会いをいただいています。もし大楠との出会いがなければ、私はとっくに死んでいます」と笑いながら話してくれました。
番人さんは大楠の神社内を案内して説明してくれました。「これは私の息子が収集していた神様の置物です。息子はデルタ航空で勤めていたのですが、心臓の病気で亡くなりました。息子が外国勤務で集めていたコレクションを大楠にお供えしています。亡くなった息子の遺品を私が手元に置いていても浮かばれないので、ここに祀って皆さんと会ってもらっています。
この神社の垂れ幕は昨日、新しいものに交換したばかりです。2年ぐらい経つと色褪せて劣化してくるので交換していますが、それが昨日でした。片桐さんに新しい垂れ幕を見てもらえて良かったです。そして大楠のしめ縄ですが、今年の1月に新しいものに交換しています。しめ縄も2年から3年で交換しなければならないのですが、お手伝いしてくれる人がいるので有難いことです。しめ縄を交換してくれた5人の方は、毎朝、参拝してくれています。
昨年ぐらいに落ち葉が増えてきたので『水が足りていないな』と思ったので、ここに瓶を置きました。瓶の底には少しヒビを入れているので、一日でバケツ一杯分の水が土にしみ込んでいます。水を吸収した大楠から落ち葉はなくなり、今も葉っぱは青々としているのでしょう。とても樹年450年の大楠とは思えないほどの大楠でしょう。瓶の水は一日でなくなってしまうので、予備のバケツを置いています。参拝に来て氣づいた人はバケツで2杯の水を汲んで瓶に入れてくれています。みんなが協力してくれて大楠を取り囲む環境が整っています」と話してくれました。
そして「片桐さん、大楠のこの辺りに背中を付けてください。大楠が背中から囲って身体を包んでくれているように感じるでしょう。大楠はエネルギーを分け与えてくれているのです。多くの人がここで元気をもらっています」と教えてくれました。
早速、背中を押しあてると一段と強いエネルギーの流れを感じます。今朝は冷え込んでいるのですが、背中から温かく感じられました。第二次大戦で和歌山城の天守閣が焼け落ちた時も、大楠は燃えることなく生き続けました。強い生命力を持って私たちにエネルギーを分け与えてくれています。少し紅葉していますが、緑の若い葉っぱが生い茂りエネルギーが満ちていることが分かります。
大楠に今年のお礼を言うことができ、「クスノキの番人」に会うこともできた冷え込んだ朝となりました。
「アフタヌーン・ティー・コンサート」に参加しました。毎年、夜に開催しているのですが、今回は昼間のコンサートになりました。今回コンサートのタイトルがつけられていないので「おかしいな」と思っていたのですが、主催者は「今年は中止しようかな」と迷っていたそうです。ところが毎年参加しているお客さんから「何を言っているのですか。今年も開催してください」と背中を押され開催することになったと聴きました。ファンである多くのお客さんの後押しがあって開催できたのです。
さてコンサートはトークも演奏も感動しました。舞台上から音楽は「リズムとメロディがあれば大丈夫です」と紹介してくれましたが「これがテーマではないだろうか」と感じました。
人は自分のリズムを持ちながら日々生活していますが、それだけでは足りなくて、そこに人生のメロディを足しています。リズムが基本とすればメロディは日々のスパイスのようなものです。好きなことをすることや仕事を楽しむこと、会話や出会いが人生にアクセントをつけてくれるメロディなのです。その中に音楽や芸術を楽しむことも入っています。
多くの人にとって、生活の中での音楽や文化、スポーツや勉強のない人生は物足りないと思います。リズムとメロディが音楽を構成している要素であるように、コンサートの途中から人生も同じだと思いました。
そんな視点で聴いてみると、後半は「ルパン三世のテーマ」「秋桜」「枯れ葉」などが演奏され、ラストは「マイ・ウェイ」、アンコールは「愛の賛歌」が演奏されました。「マイ・ウェイ」の説明は「僕は若い頃に歌ってくれと言われましたが『まだ歌えないな』と思って歌わなかった曲です。今、この年齢になって歌えるようになりました」と伝えてくれました。
心にズシンと重く染みてくる「マイ・ウェイ」でした。やはり人生を真剣に生きてきた人が歌える歌だと思いました。聴く人の心にそれぞれの人生の「マイ・ウェイ」が蘇っていたことだと思います。振り返ると確かに足跡が刻まれていると感じられることは素晴らしいことですし、心にある思い出こそ人生そのものです。
たくさんの思い出を持って人は今日を生きています。今日も思い出として刻まれる一日なのです。そんな大切な一日だから笑顔で人と接し「良い一日だったなあ」と思って今日一日の終わりを迎えたいのです。そして希望のある明日の朝を迎えることができる。穏やかに、健康で希望を持てる毎日を迎えられることが人生であり、明日に届けたい今日からのプレゼントです。
短い人生ですが、遠くまで歩き続けるべき道があります。愛と涙と喜びに溢れた人生であるために必要なものは仲間、出会い、笑顔や喜び、明日の希望などです。そんな道を歩いていると邪魔をする人が現れますが、大切な時間をそこに費やすことはもったいないことです。感謝と笑顔で称え、喜び合いながら共に歩いている仲間との時間を大切にすべきだからです。時間イコール人生です。短い人生の中で無駄な時間を過ごす余裕はありません。
「リズムとメロディ」を感じながら演奏を聴いた時間は、感動と共に直ぐに過ぎていきました。コンサートを終えた後、サックス奏者のホセさんにお礼の挨拶をしたところ「マイ・ウェイは片桐さんの心に届くと思って演奏しました。これからの道に期待しています」と伝えてくれました。感動と感謝のコンサートの時間をプレゼントしてくれたことに感謝とお礼を申し上げます。
- 岡の宮神社を訪れました。神社内を案内してもらい、地形と地名について教えてもらいました。 この神社の西側の和歌山大学附属小学校との境界は砂丘になっていて、それが桐蔭高校のグラウンド辺りまで続いているそうです。かつて片側が紀の川、片側が砂丘だったので、地名は片岡町になっています。その隣の町名は砂山ですが、海から砂が押し上げられて溜まったところなので砂山。その隣が吹上ですが、海から砂が吹き上げられたところなので吹上です。その先に松ケ丘がありますが、砂丘に松の木が立っていたことから松ケ丘なのです。地名には歴史の跡があります。
- コンサートでご一緒したことから終了後、海善寺を案内してもらいました。ここも歴史の宝庫です。第二次大戦の和歌山市大空襲の時、山門だけが残り、後は焼け落ちたことから、大切な文化財は焼失していますが、地下に保存されていた文化財は残っています。そんな歴史と文化財の話を聴かせてもらった貴重な時間となりました。