活動報告・レポート
2024年10月13日(日)
万葉薪能
万葉薪能

毎年、和歌浦を舞台に実施している「万葉薪能」が開催されました。二年連続で雨天でしたが、今年は晴天で暑さも和らいだ中での開催となりました。

第一部は能楽ワークショップで、同会が続けている学生向けの能楽の成果を披露する舞台です。4歳の子どもから大学生まで、これまでの稽古の成果を十分に披露してくれました。

片男波の屋外の舞台で能を舞った経験は、ずっと心の中で生き続けると思います。スタッフの一員として狂言に引き続いて能楽を楽しむことができました。

舞台から西の空を眺めると、ちょうど太陽が沈む頃でした。夕日が沈み、海が暗くなっていく瞬間の光景はとてもきれいで、しばらく見惚れるほどでした。この時間、台東県を訪問した時の写真が送られてきた時だったので、台東県の朝日と同じような感動を覚えました。台東県の太平洋から昇る太陽と、和歌浦の太平洋に沈む太陽の両方の光景を眺めることができたのは幸運です。両県を空路とお茶の文化でつなげることを目指していますが、太陽で結びつけることも可能だと思いました。太平洋から昇る太陽と、沈む太陽を眺めることができる両県を観光で結びたいと思いました。

和歌浦の夕日

台東県では太平洋に沈む太陽を見ることはできませんし、和歌山県では昇る太陽を見ることができませんが、人が観光と文化で交流するなら綺麗な光景を見ることができます。日常見慣れている当たり前の光景は、違う場所で生活している人にとっては宝物になるような光景なのです。今回、和歌浦の夕日を綺麗と感じたのは、台東県の朝日を見た後だからだと思います。太陽を見て感動するのは久しぶりだったので、その感動の余韻が残っていたから感じたと思います。

そう思うと、地元以外の場所で見る日常や自然は感動を与えてくれますし、地元に戻ってからの日常の光景の見え方も変化するものだと分かります。「ここにあるものが財産です」と聞くことがありますが、私たちの日常が観光客にとって宝物かも知れません。

確か機内誌で、ニューヨークを訪れた作者のコラムを読んだことがあります。「観光客として訪れたニューヨークは非日常でエキサイティングだったし、帰るときは日常に戻ると思って寂しくなる」。続けて「しかしニューヨークで生活している人達にとって、この街は日常であって見慣れた光景なのだろう。観光客の視点と生活している人の視点は異なるので、どこを訪れても観光は楽しいのである」という内容のコラムだったと思います。

私たちの日常が観光客にとっての非日常ですから、見る光景は新鮮で感動するかも知れません。但し私たちの日常と光景を綺麗に保ち、日常生活を楽しい街にしておく必要があります。これが汚くて楽しくない日常の街であるなら、観光客にとっても汚くて楽しくない町となります。人は綺麗で楽しいものに接したいので、観光で訪れた街がそうでないなら感動を与えることはできません。その視点で和歌山市を見つめたいと思います。

もうひとつ。今朝の朝日新聞の天声人語で「ドラえもん」の声優、大山のぶ代さんの自伝から引用した言葉が書かれていました。

「未来から来たネコ型ロボットは悪い言葉を使わないと考えた。『あの子の頭に、そんな言葉はインプットされていない』と書いている。決まり文句の『こんにちは、ぼくドラえもんです』は、そんな信念から生まれた。近所の人にあいさつし、目上の人に敬語を使う。『幸せな世界をずっと見せ続けている作品』だから、覚えやすい悪い言葉を使わないのだと話した」。素晴らしい決めごとです。

万葉薪能の舞台では悪い言葉は使いません。昇る太陽を見ても、沈む太陽を見ても、出てくるのは感動的な言葉だけです。良い言葉は良い日常を創り出してくれています。だから日常生活ではできるだけ多くの良い言葉を使い、悪い言葉は使わないでいたいものです。