令和6年9月県議会定例会は、全ての議案を可決して閉会しました。議案や意見書と共に、建設委員会で議論があった「緊急浚渫推進事業債による財政支援の延長等の要望について」も建設委員会委員長名で、総務大臣と国土交通大臣および財務大臣宛に提出することにしました。河川の浚渫工事に欠かせない予算であり、河川沿いの家屋の安全を確保するために必要な予算なので期限の延長と対象事業の要件緩和を求めることにしています。次回は令和6年12月議会になりますので、それまで間、課題のまとめと調査を行います。
和歌山県のエフエムマザーシップの立谷さんがパーソナリティを務める番組にゲスト出演しました。今回立谷さんから与えられたテーマは「袴田事件」でした。今週、月曜日に白浜町でお会いした時に「ラジオ番組の次回のテーマは『袴田事件』を取り上げたいのでコメントをお願いします」と依頼を受けていました。事件は1966年に起きたものなので、事件の名称や簡単な経緯は知っていたものの、ラジオで語れるほどの知識はなかったので、資料や僕も学んでいた伊藤塾伊藤真塾長の「人質司法」の見解などを学びました。そこで得たものがあったので、今日の番組で話しました。
特に知識として蘇ってきたのは、かつて伊藤塾長から徹底的に教えられた憲法の価値についてです。憲法13条「幸福追求権」を元にした解釈を伝えることができたと思います。
それは僕が番組で話をしている最中、ラジオ局の社長がずっとメモを取ってくれていたこと、前半と後半の間に音楽を流すのですが、社長が「もっと話を聴きたいから曲を流すのは1分だけにします。直ぐに後半に行きますので、よろしくお願いします」と話してくれたから感じたことです。
番組では事件に対する私たちの怒りと悲しみの感情と憲法上の人権侵害の両方で解説する必要があると思ったので、冷静に分かりやすく伝えられたと思っています。
憲法13条の前半は「個人の尊重」を意味しているもので、学校では基本的人権と習っています。僕はこの第13条が日本国憲法で最も価値がある条文だと思っています。私たちは幸福追求権と言っているのですが、この価値について、伊藤先生は当時授業で次のように語ってくれました。
第13条はドラえもんのポケットのようなものです。憲法が人権を定義していないのは時代と共に新しく護るべき人権が誕生してくるからです。例えばプライバシー権や肖像権、新しいものではアクセス権、そして問題になっている自分の情報を消す権利も将来は人権になるかもしれません。プライバシー権や環境権など、昭和の高度成長の時代にはなかった人権です。社会の進展と共に人権として認められたもので、今では当たり前の権利になっています。憲法が人権を定義していないのは新しい人権を生み出すためです。勿論、人権として認められるためには最高裁判所が判決を出して判例になる必要がありますが、新しい人権の根拠になるものが第13条の幸福追求権なのです。
憲法上の主な問題点は「人身の自由」憲法34条、「恣意的拘禁の禁止」憲法34条、「無罪推定の原則」憲法31条、など、憲法が保障する人権が侵害されることです。これは民主主義国家、法の支配の日本国にとって、あってはならないことです。国際社会に対しても恥ずかしいことで、法の支配に基づかない国家運営をしているなら、近代国家として認められないことにもなりかねません。
立谷さんとは陸奥宗光外務大臣の会でご一緒させていただいていますが、不平等条約改正の歴史を見て、明らかなことがあります。わが国はイギリスとの間で最初の不平等条約改正を達成しましたが、その理由の一つして国内法が整備されたことがあります。法律に基づいた国家運営をしていることが近代国家であり、法の支配の国であることがイギリスから信頼され、平等条約締結へと至ったのです。近代国家にとって法律の整備はそれほど大事なもので、憲法ともなれは尚更です。
憲法に抵触するような国家権力を行使しているのであれば国際社会から信頼をなくしてしまうことにつながります。権力が法律よりも前に出ていたら国家権力者の恣意的要素が判断材料になります。
まして国家権力が憲法より上位にあれば、民主主義国家ではなく、法の支配に基づく国でもないので話になりません。一人の人生を台無しにした国家権力が存在しているなら改めるべきですし、再審まで時間がかかり過ぎている法律が存在しているなら直ちに国会審議を経て改正すべきです。
袴田さんを有罪に持ち込んだ当時の理由は分かりませんが、刑事訴訟をされた場合、99.9パーセントが有罪になっている事実があります。これは公安当局が優秀な証拠でもありますが、起訴されたら確実に有罪になってしまうということです。当時の捜査方法や関係者の話も聴いたことがないので推定する以外にないのですが、犯人と決めつけた場合のストーリーが存在していたなら、そこに自白も証拠を当て嵌めていったのではないだろうかと思ってしまいます。
また感情面では、88歳になるまで真の自由がなく、今も尚、自由の扉を開けようとしている状態に置かれています。無実の人の人生をどこまで翻弄しているのでしょうか。58年の時間、つまり人生は帰ってきません。国家権力が袴田さんの人生を奪ってしまったのです。
勾留中、母親に7,000通の手紙を出していたことを知りました。もしも犯人であったとしたら、母親に7,000通も無実を訴える手紙を書くことはありません。自分が真実を話しているのに警察や検察に信じてもらえない怒りや嘆き、諦めないで耐え続けている氣持ち、悲しみなどの感情から来ているものだと思います。母親に嘘の手紙を7,000通も書くことはあり得ません。7,000通の手紙を書き続ける心にあり得るのは真実だけです。
1,000回続けられたら一流になれる。10,000回続けられたら神の領域に入ると聴くことがあります。袴田さんが続けた回数は7,000回ですから、神の領域に近づいています。もしも嘘の訴えであれは、ここまで続けられないのは明白です。一つのことを毎日、1,000回以上、続けたことがある人なら分かることです。時間的にも氣持ち的にも簡単に続けられる数字ではないのです。1,000回続けることは3年間続けることです。10,000回続けることは30年続けることです。真剣であり、かつ覚悟を持たなければ続けられない数字です。
悔しさや悲しみが入り混じった感情を、袴田さんは誰に訴えても聴いてもらえずに心に抱え続けていたのです。しかも国家権力によって抑えられていたとすれば絶望の中でどんな氣持ちで耐え続けてきたのでしょうか。それを思うだけで涙が出て来ます。
せめてお願いしたいことは、控訴しないで欲しいということです。これ以上の時間を奪わないで欲しいのです。残りの人生が幸せであるように導くことが、袴田さんの人生を奪ってしまった国家権力の務めだと思います。
しかも現代社会は、当時と同じ状況にあると思います。マスコミがある人物の批判の記事を書き、連日のように悪人だと決めつけて叩き出しています。その人に会ったことのない人は、マスコミ報道を信じて一斉に批判や「辞めろ」の世論を形成してしまいます。マスコミが世論を誘導し形作ってしまうと、反対の意見は言えなくなってしまう空気が社会に充満します。袴田さんが怪しいと言われた時の記事では「容疑者H」と書かれ、逮捕されると犯人と決めつけて「袴田逮捕」などの記事がありました。逮捕された時点では犯人と決めつけることはできないのです。しかし国家権力とマスコミの力によって世論が形作られて、そこから抜けだせない空気になってしまうのです。現代社会も同じ空気があることを伝えたいと思います。
会ったこともない、直接話したこともない人が連日、悪人のように報道されると、報道が正しいと思い込んでしまうのです。こんな社会がある限り、袴田さんのような冤罪事件が起きてしまう危険が潜んでいます。
どうか控訴することは止めていただき、袴田さんの残りの人生を穏やかなものにして欲しいと思います。そして私たちはマスコミ報道を全て正しいと思うのではなくて、そのことに関心があるなら両者の言い分を聴いて判断する時間を持つことが、人権を護れる正しい社会に導くことにつながると思います。
そしてもう一つ。僕も袴田さんの事件のことは知っていましたが、詳しく知ろうともせず関心も低かったのです。関心のなさがこの冤罪事件を長引かせてしまったように思います。
関心をもって事件のことを知り「何かおかしいな」と感じたら、小さな行動を起こせたかもしれません。行動に至らなくても、周囲の人と「袴田事件について」話すことはできていたはずです。小さな声であっても、誰かと話すことは確実に社会の空気を変えることにつながります。袴田さんの無罪を確定させると共に、私たちは社会の一員として「変だな」と感じたことは周囲と話すこと、報道に支配されないことを心掛けたいと思います。それが社会を良い方向に向かわせることだと思います。
- 和歌山県と和歌山県教育委員会に対して、高校生ダンスコンテストに係る相談を行いました。高校生のダンスは全国的に盛んですが、和歌山県でダンスをしているグループや部活動は少ないようです。盛り上げを支援するためのコンテストの相談を行っています。
- 日曜日のコンサートに関して調整を行っています。皆さんが楽しんでもらえるように対応しています。