珈琲店経営者から話を聴かせてもらいました。
「どんな仕事でも大切なことは感謝と相手を思いやる気持ちです。ここに来てくれる全てのお客さんには心から美味しい珈琲を飲んでいただきたいと思って珈琲をたてています。常連さんでも初めての人でも、どんな人に対しても同じ氣持ちで珈琲を出しています。おもてなしの氣持ち、安らいで欲しいという氣持ちを感じてもらえるようにしています。
大事なことは美味しい珈琲を飲んでもらうこととゆったりとした時間を過ごしていただくことです。感謝の氣持ち、笑顔、思いやり、いたわり、時には励ましの氣持ちで接しているので、お客さんに感じてもらえたら有難いことですが、氣づいてもらわなくても良いのです。自分がお客さんに喜んでもらえるだけで良いのです。今の時代、喫茶店で利益が得られることはありません。以前、珈琲店を行っていましたが、事情があって休業していました。
ある日『あの時と同じように珈琲でお客さんに喜んでもらいたい』と思って再開したのですが、幸い、かつての常連さんが再開を喜んで来てくれていますし新しいお客さんにも来てもらっています。お客さんが来てくれて珈琲と会話を楽しんでくれること。それが私にとっての幸せです。
そこには何かをいただきたいと思う氣持ちはなくて、繰り返しますがお客さんに喜んでもらいたいという氣持ちだけです。私はお店でいる時は全く無なんです。売り上げも利益も考えていなくて本当に無の心で接しているのです。神様が喜んでくれるのは、人間が誰かに喜んでもらえる行為をすることだと思います。お客さんが喜んでくれると神様も喜んでくれていると思っています。そんなお店でありたいと思っています」と話してくれました。
続けて「今日、お彼岸なのでご先祖様にお参りをすべきですが、お墓に行けなくても心を届けられたら良いと思っています。『今日、お墓には行けないけれど、いつもご先祖様に感謝していますから、今日も心を届けます』と心で伝えるだけで良いと思います。心を届けるのはお彼岸だけではなく、毎日、届けられるので日頃が大事だと思います。そして直接、知っているのは父母だけかもしれませんが、その両親、そのまた両親がいたのです。父母は両親を知っていますが、私たちは知らないことがあります。会っていないけれども両親を思うように祖父母にも感謝の心を届けましょう」と伝えてくれました。
ご先祖様は大事にしなければなりませんが、その両親も、そのまた両親にも感謝の心を届けることが大事です。命は受け継がれていますし、ご先祖様は自分の孫や曾孫のことを大切に思って護ってくれているのです。お墓に行かなくても良いので毎日、感謝の気持ちは届けたいと思います。
またこの経営者は「小学校の時からの道徳の時間がとても大事だと思います。道徳を身に着けることは勉強ができるよりも社会で生きるために必要なことです。人のことを思いやる氣持ち、いたわりの氣持ち、感謝の氣持ちを心に宿した人になることが大事なことです。そんな心の持ち主は、人に対して笑顔で接することができる人なのです。日本人にとって大事な心ですが、最近は疎かにされているように感じています。道徳教育をしっかり実施して欲しいと思うので、県政でも伝えてくれると嬉しいです」と話してくれました。
珈琲と会話、そして道徳心、珈琲の香りが漂う空間の下で、とても良い時間を過ごすことができました。
風吹弁財天と荒神さんへの参拝と共に、ご先祖様の法要を執り行っていただきました。先に珈琲店主から「心を届けることが大事」という話を聴いた後に法要の機会をいただきました。僧侶から「お彼岸に伝えたい言葉があります。是非来てください」と案内をいただいていたので参加したものですが、念仏を唱えてくれている間中、ずっと氣持ちが良い状態になりました。
念仏が心地よいと感じることは稀なのですが、合わせた両手が熱くなり体温が上昇したように感じたのです。念仏の最中、「今日お墓に行けないけれど、心よ届け」と念じながら手を合わせていたので、身体が熱くなったのは心が届いたからだと思っています。
僧侶と共に修験道者の方も数人念仏を唱えてくれたので、発する声が室内に響いたことも関係していると思います。一人が唱えるよりも、修行を行っている複数人が唱えることで力は増幅するように感じるからです。
この時間への感謝の言葉を伝えると「私どもは修験中の者ですから、お氣づかいなく」と謙虚に答えてくれました。念仏を唱える人は身体も心も鍛錬されていると感じました。
念仏の響きと体温が上昇したこと、そしてお彼岸に際してご先祖様への感謝の氣持ちで祈ったことから、修験道者の方々と共に良い時間を過ごすことができました。案内をいただき参加できた喜びを感じています。
そう言えば先の時間、珈琲店主は「お祈りの場にいられることに感謝ですよ。私はお参りできることを嬉しく思っています。氣持ちがなければ参拝にも行かないでしょう。お参りに行けることが嬉しいことなので、それ以上、求めるものはないのです」と話してくれました。
確かにそんな氣持ちになれたご祈祷の時間でした。