画廊赤尾さんを訪ねました。先輩の松尾さんから「鉄塔のある風景」の写真展の案内をいただいたからです。赤尾さんを訪ねるのは初めてなので高速を降りて通り過ぎたりしながら辿り着きました。
店内に入ると壁に「鉄塔のある風景」が並んでいて、オーナーの赤尾さんが笑顔で出迎えてくれました。「私は油絵が趣味で上野の展覧会などに出展していたので、店内に皆さんの作品を展示してもらっています。一つの作品展は2か月ですが、もう来年まで予定が埋まっています。皆さんが来てくれると賑やかで楽しくなります」と話してくれました。
明るくて笑顔いっぱいで作品を鑑賞しながらオーナーさんと話を交わしました。
「年齢から考えて、もう油絵を描くのは大変なので、今は野菜作りをしています。野菜作りはとても楽しいので毎日ワクワクしています。野菜は心を注いで育てると反応してくれることが楽しいのです。心を込めて育て、野菜と会話をすることが楽しい毎日の日課となっています。小麦も作っているので自分で育てた小麦でパンを焼いています。薬膳のパンなので少し苦いのですが体に良いですよ」
「皆さんにギャラリーとして活用してもらっています。最初は油絵が多かったのですが、最近は写真展が増えています。松尾さんの個展は初めてですが、これまで知人の皆さんと一緒に展示してくれていました。とても真面目で几帳面な方ですね」と伝えてくれました。
オーナーは現在82歳なので画廊を開けているのは週に4日間だけで、残りの日は「野菜作りに充てています」ということです。店内には100号の油絵も飾っていました。作品は蒜山高原で「雪の蒜山高原を見た時に感動して、これを描きたいと思って作品を仕上げました。雪に覆われた蒜山高原はとてもきれいで、これまで見たことがないほどでした」と作品についての話を聴かせてくれました。
さて「鉄塔のある風景」ですが、日常の風景の中に潜んでいる鉄塔を写真の一部に差し込んでいます。和歌山市内を走る貴志川線沿いの光景や歩いている時に現れた田園風景の中、相撲の幟の奥に見える鉄塔など、風景の中に馴染んでいる鉄塔がありました。鉄塔は町の風景の中において、時には邪魔者扱いされますが、電気を届ける施設で生活に欠かせない重要な役割を果たしています。現代社会において鉄塔のない風景は考えられないものですが、私たちは鉄塔を意識していないので視界には入ってきません。和歌山県内で、日常の風景の中に鉄塔を写しこんだ写真展は初めての企画だと思います。
社会生活の中にある鉄塔を意識することで見えてくる違った風景があり、鉄塔のお陰で豊かな生活が過ごせていることに感謝したくなります。お店から「松尾さんが鉄塔のある風景のしおりを入り口に置いてくれています。お持ち帰りくださいね」と声をかけてくれたので、一ついただきました。
いただいたしおりは、作者が散歩の途中に虹が出たのでシャッターを切った時に鉄塔が写っていたことから「鉄塔をテーマで写真を撮影」することになった作品です。鉄塔を意識することで見え始めた風景の数々が作品になったのです。普段であれば見落としてしまう風景ですが、鉄塔を意識することで、まちに鉄塔が馴染んでいる様子が分かります。電気は鉄塔を通って配電線へ、そして引き込み線から家屋へと届けられています。鉄塔は現代社会に欠かせない風景で、江戸や明治など過去の時代の風景には存在していないものです。
そう思うと鉄塔のある風景は現代社会の特徴であり、この風景が全国に電気を届けて文明を築いていることに氣づきます。鉄塔は邪魔な風景ではなくて、現代社会を象徴する風景だったのです。
このように、画廊のオーナーさんと会話しながら「鉄塔のある風景」を楽しみました。少し遠かったけれど「行って良かった」と思いました。オーナーさんに「今日、ここに来て良かったです。松尾さんから作品展の案内はがきをいただき、ご縁をつないでいただいたことに感謝しています」と伝えました。オーナーさんからは「遠いところ来てくれてありがとう。こちらに来る機会があれば立ち寄ってくださいね」と笑顔で送ってくれました。とても気持ちの良い時間を過ごせたことに感謝しています。
高校三年生の時のプチ同窓会に参加しました。今回、卒業してから初めて会う同級生も参加してくれ、しかも彼は写真部だったので高校時代の写真を持ってきてくれたのです。今のように簡単に写真が撮れる時代ではなかったので写真はほとんどありませんが、写真部の彼が撮影してくれていた写真が残っていました。彼は「今日、実家に戻ったので当時の写真があると思って探しました」と写真を回覧してくれたのです。体育祭や卒業時のクラスの写真は初めて見るものでした。「こんな写真があったんだ」と口を揃えて話したように、懐かしい顔がありました。
当たり前のことですが、みんな若くて今よりも随分と痩せています。当時、長髪が流行っていたので男子も長髪でした。みんなの表情が溌溂としていて「凄い」とあの頃に戻りました。すっかり忘れていた思い出も蘇り、高校3年生の同級生の時代に戻りました。あれから45年が経過しているなんて思えないほどでした。あの頃の僕たちは、45年後の自分は想像できなかったと思いますし、60歳代になる自分なんて想像もしていませんでした。みんなそれぞれの45年を過ごしてきたのです。そんな長い時を超えて話し合えた愛おしい時間となりました。また、明日からも頑張れそうな氣持ちになります。