随筆集「浜木綿」第72号が届きましたが、次号の原稿依頼を頂戴したので、早速、2つの原稿を書き上げました。書くに際して会員の皆さんの随筆を読み、随筆には作者の人生がストレートに表れていることに氣づきました。
「妹の記憶」「月光仮面は誰でしょう」、「世界遺産の道に学ぶ サンティアゴを視察」などを読むと作者の人柄が伝わってきますし、文章からこれまでの人生の道のりが想像できるほどです。大切な時間を割いて随筆に使っているのは、書くことで人生の一ページを振り返れることや、記憶から消え去ろうとする出来事を記すことに価値があると感じているからです。一人の人生はやがて消えますが、随筆集などの史料に記した文章は残ります。
作者の生き方や価値観を残すことにつながる、書くことはとても大事な作業だと思います。
今回は「和歌山城の大楠」と「南紀熊野体験博の思い出と歴史的意義」の二つの随筆を書きました。どちらも他の人が体験していないことを残すつもりで一気に書きました。
樹齢約400年とも450年とも言われているこの「大楠」は不思議な力を持っています。450年も生きている生命は、それだけでエネルギーの塊です。「大楠」の肌に触れると大地と大空からのエネルギーを感じることができますし、その力は身体に吸収されていくように感じます。
これまで多くの人が「大楠」を訪ねてお願いをしています。多くの人々の祈りの力も宿っていると思いますし、多くの人の悩みや相談を聴き入れてきたと思います。
先の大戦において、米軍機から爆弾が投下され和歌山市内が焼かれた時、戦火を避けるように家族でこの「大楠」に辿り着いた人がいます。僕はこの方から、戦火が収まるまで「大楠」で暮らした話を聴きました。
「大楠」はそんな不安で先が見通せない時代を生きた人たちの心を知っていますし、何よりも「大楠」は戦火からも逃れた強い生命力を有しているのです。
現在は御神木として祀られていて、多くの人の不安や悩みなどの相談を聴き続けています。もちろん願いが叶った人もいるでしょうし、叶わなかった人もいます。万能ではありませんが、その人に寄り添って支えになってくれるのは事実です。この先、現代を生きる私たちよりも長く生き続け、未来の人の相談も聴いてくれることでしょう。私たちの願いが「大楠」の記憶に残ることで、未来の人たちの悩みや不安などの解消に役立つことになると思います。人の思いや記憶という見えないものが「大楠」の強い生命力の中に包含され、時代を超えて誰かの役に立つと思うのです。
私たちが「大楠」に触れるとき、経験していない戦国時代や江戸時代、そして大戦のことを思うのです。単に教科書で習ったことを思い出しているだけかもしれませんが「大楠」が人類の記憶を呼び覚ましてくれているようにも感じます。教科書に載らない私たちの生きた足跡や記憶も、「大楠」を訪れて真剣に相談をする未来の人たちに届けられるかもしれません。そんなことを思いながら「大楠」について書き記しました。
そして「このままでは消えてしまう。記録して残さなければ」と思ったのが「南紀熊野体験博」のことです。開催されたのは1999年ですから、今から25年も前のことになります。
当時の実行委員会の仲間の行動や思い、信念や熱量は個人の記憶の中にあるだけで形として現存していません。博覧会のことを書こうと思ったのは、実行委員会のメンバーで構成している「なんくま会」から25周年祭の案内が届いたからです。現役だった実行委員会垣平さんや嶋田さんを始めとする県職員さんも定年退職した人が多くなり、現役でいるのは当時の若手職員さん達で県在籍者は少なくなっています。みんな役職に就く年代になっているので、やがて博覧会が創り出した体験イベントや地域イベントなどの起こりも、博覧会の運営や催事、そして広報の仕事のやり方も忘れ去られると思います。
しかしこれらは個人の財産でもありますが広く和歌山県の財産です。時間と予算と情熱を提供して創り上げた博覧会が地域に残したものとノウハウを継承しなければ、やり遂げた意味が薄らいでしまいます。不思議なことに随筆を書いていると、あの時の職場での何気ない会話や会場での出来事、熊野古道を歩いていた時に思ったことなどの記憶が蘇ってきます。無形の成果、これも財産だと思いますから、その一部を記録として記しました。
- コラボ展に出展する写真の選択と引き伸ばしと仕上げに関して写真屋さんと相談しました。昨年も相談した時、親切に対応してくれたのですが、今年も笑顔で親切に対応いただき、アドバイスもいただきました。店員さんの心ある対応に感謝しています。
- 自動車工場を訪ねてアドバイスをいただきました。知識がない分野のことは専門家の意見を聴くに限ります。ここでもいつものように、笑顔で親切に対応してくれました。