和歌山市内の屋外で開催されたmiyaさんのミニコンサートに行ってきました。日差しが強い中での屋外だったのでmiyaさんの体調が心配でしたが、私たちの心に素晴らしい贈り物を届けてくれました。闘病中でありながら好きな歌を届けるためにコンサート活動を続けていますが、主催者から「今回も前日までレッスンを続けてきた」と聴きました。元来はシャンソンを中心に歌っていたのですが、ここ数年は社会派歌手のようなコンサートを行っています。今日の屋外でのステージは、映像で見たことのある1970年代のコンサートのように感じました。尤も1970年代のコンサートはライブで観たことがないのでそう感じただけですが、「いちご白書」の映画のような雰囲気がありました。「いま社会に問いたい」という投げかけをしているようなコンサートでした。
本日歌った曲の歌詞から考察すると今回のメッセージは次のようものだと感じます。
「私たちは奇跡のような毎日を生きていますが、多くの人はその奇跡に氣づいていないようです。今朝、何事もなく起きたことが奇跡の始まりで、歯磨きと洗顔、朝食と新聞を読みながら目覚めの珈琲を味わうことなど、全ての行為が奇跡であり感謝すべきことなのです。毎日繰り返されるので当たり前過ぎて何も感じないのですが、起きた直後からの出来事は奇跡の連続なのです。
だから今日、出会う人とのご縁も、今日の出来事も天下の配剤であり大切にしなければなりません。あなたに逢えたことも奇跡であり、ここで歌っていることも、ここで歌を聴いていることも奇跡なのです。
だから争いはそろそろ止めにしましょう。いつまで愚かなことに大切な命を使っているのでしょうか。争っている人たちは、子ども達に何と言い訳をするのでしょうか。人として命を授かった訳を考えて欲しいと思います」。
Miyaさんの歌からのメッセージとして感じました。
人との出会いや愛を歌っているけれど、今日の歌声は心からの社会への問いかけのように感じたのです。現代社会で起きている歪みや矛盾は誰の心を反映しているのでしょうか。正しい心の持ち主は生きにくい社会になっているのではないか。この国の主権者の叫びは何故届かないのか。為政者は誰のために国の舵取りをしているのか。
今日の歌からそんな叫びが聞こえたのです。勿論、歌った歌詞にあるわけではなく、歌い手はそう思っていないと思いますが、この時、僕の心の受け止めは確かにそうだったのです。
嬉しいことや哀しいことを通り越した感情とも言うべき、社会に向かっての叫びのように感じたのです。
miyaさんは、さだまさしさんの言葉「大災害の起きた場所では音楽家にできることはとても少ない。でも歌が皆さんの心を少しでも動かせられたら」と被災地でのさだまさしさんの言葉を引用して「私の歌が皆さんの心を少しでも動かせたら嬉しいことです」と語ってくれましたが、今回、歌を聴くだけではなくて心の叫びが届いたように感じました。
今回の屋外コンサートの趣旨は「能登半島被災地支援」だったことも関係したかもしれませんが、この歌の力が現実社会に届いて欲しいと感じました。
コンサート会場は公園だったのですが、歌の最中、私たちの前をたくさんの赤とんぼが飛んでいました。暑いけれども季節はもう秋に入っています。久しぶりに見た赤とんぼですが、社会という季節が変わることを示してくれたように感じます。屋外で立っているだけでも辛かったと思いますが、見事に歌の魂を私たちの心に届けてくれたmiyaさんに感謝しています。ありがとうございます。
てっきゅう先生の番組放送5周年記念祝賀パーティに出席しました。日曜日のお昼の時間を参加者の皆さんと一緒に楽しむことができました。ゲストのウインズ平阪さんの熱唱には感動しました。ラストソングの「道」は涙ものでした。夕海さんの番組オープニング曲や木谷ファミリーの歌、そして「わかうたコンテスト」に出演してくれた円香さんの歌唱力にも感動しました。多くの人が関わって、地域が元気になるために一つのことを創り上げていく力を感じました。本日、お会いした皆さんに感謝しています。