お米が不足して入手困難になっていることから「令和のコメ騒動」から学ぶ教訓を伝えてもらいました。今回のお米不足は「南海トラフ地震臨時情報発令」と「台風第10号」への備え、そしてお盆休み直前の注意報発令のためお米の発注が間に合わなかったことなどが原因だと言われています。それらは報道によってお米がなくなると危機感を持った人が増えたことも原因の一つだと言われています。
お会いした経営者は「令和の時代にお米が不足する事態が生じるとは思いもしなかった」と話してくれ、「令和のコメ騒動」から学ぶべきことを伝えてくれました。
江戸時代、どこの集落にも「庄屋」がありました。大きな蔵があり、そこにお米を備蓄していたのです。日常はお米の売買をしていたのですが、災害が発生した時や飢饉の時など有事の際は、そのお米を地元の方々のために無償で放出したのです。困った時はお米を分け与えることで地元を守っていたのです。だから地域の方々から庄屋は尊敬され、世代を超えて地元で繁栄することができたのです。お米やお金を保有していたので尊敬されたのではなくて、非常時に護ってくれることから尊敬され続けたのです。
もちろん庄屋の子どもの教育は「有事に際して地元の方々を護ること」が代々受け継がれていたのです。この教えを守らない跡継ぎが家を継いだなら、その庄屋は没落していったのです。今でも高山などの古い集落を訪れると、地元にあった庄屋の家屋を見ることができます。大きな家と蔵があり繁栄の跡を見ることができますが、地元繁栄できたのは地元のために尽くしたことで尊敬されていたからです。
そこで人が周囲から尊敬されるのは、お金を持っていることではなくて有事に際して周囲の人を助けるからだということです。無形の財産である人徳を積み重ねていることが尊敬されることにつながっていくのです。一代限りではなくて後継者にもそのことを教育するから、その地域にあって代々栄えることができたのです。庄屋の主の考え方は現代に通用するものです。
もう一つ考えておくべきことは「人間にとって大事なものは食料」だということです。地球の人口がこのまま増え続けると、将来、食料が不足する時代がやってきます。その時に価値を持つのは食料を保有していることです。土地やお金ではなくて食料に価値があることになります。令和のコメ騒動で学ぶべきことは食料を確保すること、食べ物を大事にすることです。食べものは残さず感謝していただくこと。余った食料はみんなで共有することなど、食料を大事に扱う価値を持つことです。
豪華な邸宅や高級車を凄いと思うのではなく、食べ物を大事に扱っている人を凄いと思うべきなのです。お金があって食べ物や周囲の人、そして物を大切にする心の温かい人が尊敬される人であって、高価なモノを所有している人でも、他人を思いやる心を持っていなければ尊敬されないのです。
既にお米は2年先まで先物買いが入っているとも聴きました。先物買いは制度なので否定するものではありませんが「令和のコメ騒動」を発端として、自分だけが利益を得るための行動であれば歓迎されるものではありません。
人にとって大事なものとして「衣食住」がありますが、今回、一番大事なことは「食べる」ことだと氣づかされました。人によって異なりますが、これまでの価値の順番は一般的には「土地や住宅」そして「食べること」続いて「衣服」だと思いますが、本当は「食べ物」が一番なのです。
- 友人と懇談して白浜町活性化のアイデアを聴かせてもらいました。若い人の視点での活性化案を楽しく聴かせてもらいました。その中に「記紀」の歴史が入っていることを嬉しく思います。
- お米が不足している状況下、これまで継続して取引している人や飲食店との取引関係が強いことが分かります。