福島県の視察の二日目は、双葉郡富岡町の福島第一原子力発電所及び東京電力廃炉資料館を訪れました。東日本大震災で事故を起こした福島第一原子力発電所の視察は、今回が2度目となります。前回の視察時と比較して、除染作業がかなり進み水素爆発した1号機の近くまで行くことができました。
最初に訪れたのは廃炉資料館で、事故の記憶と記録反省と教訓、その後廃炉現場の状況を説明してもらいました。3.11の当日、中央制御室での対応は停電で緊張した状況の中、懸命の現場作業をしていたことがわかりました。この時の発電所長は吉田所長ですが、吉田所長が陣頭指揮をとっている場面の写真も見せていただきました。
後に映画「Fukushima 50」で主人公となる吉田所長は、非常時に類稀なるリーダーシップを取り、冷静な判断と本社との交渉などを行います。発電所の現場を知っている所長、そして現場社員と地域の人々を守ろうとした所長の心意気を聴くと今でも胸に響くものがあります。所長は後に癌でお亡くなりになりますが、この時に命を賭して命を守ろうとした行動を忘れることはありません。忘れることがあるなら、それはこの時の教訓を忘れてしまうことに他なりません。
廃炉資料館では当時中央制御室で働いた人のコメントもあり、当時の状況やこの先も福島県を守っていく気持ちを感じました。絶対に起こしてはならない事故を起こしてしまった事実は消えませんが、今後、安全に廃炉処置を行い、福島県の復興まで見届けることが企業の責任だと思います。
今は廃炉措置終了までの40年の長いロードマップのスタートを切ったばかりで、燃料デブリの取り出し、そして汚染水の処置など安全に作業を進めているところです。
昨日、近隣の町内を視察しましたが、家屋や商業施設は3.11のときのままで、人が全くいない状況でした。この状況から復興までの道のりはまだまだ長いと感じましたが、復興するための条件は、なんと言っても福島第一原子力発電所の廃炉措置を完全に終えることです。
実際、福島第一原子力発電所の現場に入ると水素爆発した原子炉建屋の跡は生々しく、改めて津波被害の恐ろしさを感じます。1号機、2号機の原子燃料の取り出しはこれからになりますが、線量が高いため遠隔操作で取り出すこととしています。その前に放射線を帯びた瓦礫などを取り出すなど困難な作業が待ち構えています。しかし、やり遂げなければいけない作業であり復興に携わる者の使命です。汚染水対策、燃料プール対策、燃料の取り出し、燃料デブリ取り出し、そして廃棄物対策など課題は山積していますが、目標工程を定めて作業を進めている様子が分かりました。今週、令和6年8月22日2号機の燃料デブリ搬出をする予定になっていますが、作業の無事を願っています。
今回、現地を案内してくれた東京電力の社員の言葉から、やり遂げる覚悟が伝わってきました。歴史は書き換える事はできませんが、これからの復興は関わる人の使命感と行動で変えていくことができます。3.11の事故を経験した東京電力の皆さんは、これまでの13年間、強い使命感を持ち責任を果たしてきたと感じています。ただし廃炉措置が終わるまで続く、否、福島復興まで続く責任を持ち続けることが必要です。
復興に携わる人は変わっていくことになりますが、この使命と責任は人が変わろうとも継続します。経験と教訓をこの先も引き継いで福島県を復興して欲しいと願っています。
今回の二日間の福島県の視察にあたって、地元、バス会社である福島交通の方に案内していただきました。故郷を思う気持ち、3.11のときの社員の行動など、直接、話を聞くことで分かることがありました。やはり現地に入ることで学べる事はたくさんあります。福島復興への願いを心に刻めた視察となりました。
さて帰路となったJR郡山駅に降りました。この駅前にある「あさかの学園」は60歳以上の皆さんが学ぶ場となっています。地元の福島交通で公共バスに乗車する「あさかの学園」の生徒に学生割引を適用しています。ここで学ぶ60歳以上の生徒の皆さんは、この学割適用を学生時代に戻ったような気持ちになると、とても喜んで通学の手段として公共バスを利用しているそうです。60歳以上の学ぶ人達のための学生割引制度は、ちょっと粋な取り組みです。
そして東日本大震災の時、福島交通では被災地支援のため、被災地での観光バスの運行や避難所へのボランティアを行ったそうです。それが地元企業の役割であり、公共の仕事をしている企業の務めだと考えたからです。二日間同行してくれた運転手さん、ガイドさんの姿勢からそのことがとても良く分かりました。親切丁寧、そして故郷を思う気持ちで案内してくれたことに感謝しています。