活動報告・レポート
2024年8月15日(木)
平和祈念祭
平和祈念祭
平和祈念祭

和歌山懸護国神社で執り行われた平和祈念祭に参列しました。本日の終戦記念日、毎年この式典に参加させてもらい、先の大戦で尊い命を祖国のために捧げた英霊の御霊をお祀りさせてもらっています。宮司さんからは「先の大戦で尊い命を失った英霊は、戦後ずっとここに鎮座しています。お盆に帰ってくるのではなくて、この時期はこの場所に集まってくるのです。ずっと祖国の繁栄を見護ってくれていて、この先も同じように見てくれています。もしかしたら生まれ変わって、この世に戻っているかもしれません。私たちは英霊がつくり上げようとした平和な社会を築く必要があります。英霊に恥ずかしくない祖国を築き上げるために尽力してくれることをお願いします」との趣旨の言葉を伝えてくれました。

英霊が集まっている護国神社の式典に参列できたことを嬉しく思いますし、この国のこれから先も繁栄することを願いました。平和は私達だけで築けているものではありません。先人たちが築き上げてきたものを受け継ぎ、現在の平和な社会を将来に残すことが使命です。私たちが「何ができる」のかを問われると、明確に答えはありません。それは一人で平和を築くことはできないことを知っているからです。一人の願いを大きな力にまとめることが平和を築くことになります。

平和を祈ること、英霊にお祀りすること、平和の話をすること、大戦の記憶を語り引き継ぐことなどが個人でできることです。小さなことだと思いますが、その小さなことを積み上げる以外に平和を維持する方法はありません。個人の願いが崩れていくと争いへと発展していきます。平和は小さな石を積み上げているようなもので、少しの横からの力が加わると簡単に崩れてしまいます。しっかり積み上げても小さな力で崩れるような弱くて脆いものです。でもそれを続けること、崩れても積み上げる以外に平和を維持することはできないのです。先人の体験談や語り継がれている話を聴いて、今度は私たちの言葉で平和を語ることが、現代の平和を次の世代に引き継ぐことです。日本に平和を築いた次は世界に発信していくこともわが国の使命です。終戦記念日に英霊らに御霊にお祈りを捧げて感じたことです。

戦後、築き上げてきた平和が、この先もずっと続くようにみんなで平和の祈りを捧げたいと思います。集まって祈った平和祈念祭は、それだけで意味のあることだと思っています。

紀州の着物文化

「大阪・関西万博」に出演するため会議を行いました。紀州の着物文化を2025年の万博会場の和歌山ブースのイベントステージで発表することが決定しているので、その企画会議を行ったものです。

話し合っているなかで感じたことですが、今更ながら和歌山県の歴史の奥深さに驚かされます。しかも地元でさえ知られていないのです。「記紀」の時代から文化が続いている歴史が長すぎて、また各地域に分散していることから分かりにくいし伝えられてこなかったのが原因だと思います。

例えば、江戸時代の紀州藩は全国一の出版物を発刊していたそうです。これは元紀州藩主の徳川吉宗が「情報を共有しなければ発展しない」ことを知っていたから、今でいう出版社を作らせて印刷物を発刊していたのです。当時、出版社の数が全国一だったそうです。今に残る「紀伊國名所図会」は江戸時代から続いている帯伊書店が発刊したもので、紀州の風景が浮世絵として残っています。まちに活気がある城下町であったことが分かるものです。

そして印刷物に使う和紙ですが、和紙は楮(こうぞ)の木が原材料になっています。この楮の木は紀の川筋に群生していたと言われていて、和紙が生産されたことも印刷技術が紀州で発展した要因の一つになっています。

和歌山県の「和」は和紙の和でもあり、和を以て貴しと為すの和、和みの和でもあります。古来より和歌山県は「和み」の地であり、文化の地でもあるのです。和紙も着物も繊維を束ねたものなので、紀州の着物と和紙の文化は全国に誇れるものだと思います。

奥深い紀州の文化を、紀州着物文化を通じて2025年の万博会場で伝えられることを楽しみにしています。