飲食店を訪ねた時のオーナーさんとの会話です。昭和世代には理解できる話です。
「うちの母親は今年93歳、元気でいてくれるのが嬉しいことです。元気なので自宅で暮らしていますが、この夏の暑さにも関わらず、夜もクーラーをつけないで寝ているのです。せめて扇風機だけはつけてと言っているので、扇風機をつけてくれているのですが心配しています。クーラーをつけると『冷えすぎる』だとか『電気代がかかる』など母親は言うのですが、僕は『冷えすぎるなら扇風機をつけて空気を拡散させたら良いし、電気代よりも身体のほうが大事なので暑い夜はクーラーをつけて寝て』と話しているのです」。
良くわかります。「昭和の時代に子どもだった世代には理解できる話ですね。小さい頃にはクーラーはなかったですし、扇風機も一台か二台あったぐらいでした。うちわで扇いで後は涼しい外気を取り入れるために窓を開けて寝ていました」と話しました。
そう話しながら「子どものころの夏休みはうちわで扇いでいただけで暑さを凌げていたなぁ」と思いました。クーラーがやってきたのは相当、時代が進んでからのことですから、両親のような戦前生まれの人にとってクーラーは、その当時に存在していなかった贅沢品のイメージが残っているのです。だから「贅沢なことは控えて生活する」習慣が脳にも身体にも染みついているので、どんなに暑い夏でもクーラーは使わないのです。
但し、子どもにとっては家の中、夜間でも熱中症が多発しているので心配して声をかけています。70歳代に近づいても母親は母親で、子どもは子どもなのです。違う点は「子どもが母親の健康や身体に気を配っている」ということです。この点に関して、母親が若くて子供が小さかったころと逆転しているのです。話を聞いて「そんな関係も良いもの」だと思いました。子どもは両親に受けた御恩を、直接返すことは到底できないけれど、少しぐらいは直接、恩返しをしたいと思っています。できない分を子どもや友人、社会に恩返しをすることになるのですが、両親に感謝の気持ちを伝えたいのが本音です。
店内での他愛もない会話でしたが、昭和の子ども時代を思い出して和んだ時間となりました。昭和のクーラーが存在していない時代、扇風機さえ珍しかった時代、うちわで暑さを凌げた時代、窓を開けて室内に風を取り入れ、そこに風鈴を取り付けていたのでその音でも涼を感じられた時代。一晩中、窓を開けて寝ていても大丈夫な近隣とのコミュニティがあった時代でした。
そう言えば、扇風機でさえ家庭に一台でした。家族が一つの部屋に寝ていたので、扇風機の首を左右に回していたので、風が届くときは涼を感じたのですが、扇風機が回って風が来なくなってしまうと暑さが戻って寝苦しいこともありました。今では考えられないことですが、不自由を感じなかった懐かしい時代です。
振り返ると昭和は随分と遠くの時代になっています。しかし昭和生まれ同士の他愛もない会話で涼を楽しみました。
- 和歌山文化協会茶道部定例会に出席し、部長から秋以降の企画や催しの説明がありました。また県政報告の時間をいただきました。暑さ本番はこれからですが、文化の秋の香りを感じられました。
- 和歌山県の発展につながる可能性のある政策について会議を行いました。寂しいことですが、皆さんから将来の発展が見通せる政策がないとの指摘を受けています。多くの方が経済と雇用、人口が増加することが期待できる政策を望んでいますが、確定している政策の中では説明することができません。動いている案件で希望の持てる案件はありますが、実現までのハードルがあります。それをクリアしていくための活動を行っていますが、現段階で伝えることはできないのです。皆さんの期待に沿えるよう県政を前進させていきます。