「龍馬World in和歌山」大会開催に関わるZOOM会議を行いました。現在、和歌山県以外の皆さんにも協力をいただきながら大会準備を進めているところです。大会概要はほぼ固まって来たので、現在は関係者と打ち合わせを行い詳細について詰めているところです。
和歌山大会開催にあたり県外の皆さんと話を交わしている中で、龍馬と関係している地域があることに気づきました。
ZOOM会議で結んだ丹波市も関係している地域の一つです。坂本龍馬のお爺さんの生誕地が「丹波市だったのでは」ということです。坂本家の家紋は桔梗ですが、丹波の城主だった明智家の家紋も桔梗であり、明智家と坂本家は関係しているとも言われているので、そんな事実があるかもしれません。
今回の和歌山大会が契機となり、宗光と龍馬の関係性から和歌山市と丹波市がつながりました。歴史が現代を生きる私達を結び付けてくれたのです。今回の全国大会には丹波市、大阪市、長崎市、そして東京都内からも、ご縁をつないでいただいた方々が来県してくれることになりました。またタイ、ベトナムからも来県してくれる話を頂戴しているので、和歌山県の今夏は宗光と龍馬色に染まり幕末から明治維新にかけての歴史を巡る講演会と研修会の場となります。
しかもオープニングには、静寂を誘う法螺貝から始まり大会の開始を告げる太鼓の乱舞、そして日本刀の演武を予定しています。日本の精神文化を味わっていただき、同時に日本人の志と気概をもって幕府、そして列強と対峙した龍馬と宗光の生きた証を学んでいただきます。幕末から明治にかけての主役とは言いませんが、名わき役の一員であった和歌山県から全国に向かって明治維新と不平等条約改正の今日に至る意義を発信してきます。
ZOOM会議に出席してくれた一人の方は、この全国大会を案内したことから竜馬と宗光について勉強してくれていました。
「和歌山県にこんな凄い偉人がいたことを知りませんでした。イギリスとの間で不平等条約改正を行ったことで日本は近代国家へと歩み始めたことも知りました。もし陸奥宗光外務大臣が領事裁判権や関税自主権を回復していなければ、日本の近代化は遅れていたと思いますし、現代の私達の生活も違ったものになっていたと思います。幕末から明治を生きた陸奥宗光さんの功績が現代社会、そして私達の生活に直結していることを知らなければなりません。何もせずに近代国家は築けませんでしたし、平和な国家づくりも進展していなかったと思います。偉人の志をもった行動と偉人達が生きた歴史に感謝しなければなりません。そんな志を発信してくれる和歌山大会に期待しています」と話をしてくれました。
この話の通りです。そのためには大会を開催する地元の私達が故郷の歴史を学び、故郷の偉人の功績を知らなければなりません。地元から発信するためには地元の私達が大会に参加して、偉人の功績を学び、子ども達のために歴史をつなげることが必要なことです。
これまでの広報活動を通じて、宗光と龍馬に関係する地域の皆さんからの和歌山大会への期待は高まっていることを感じています。この後は、大会に向けての機運醸成を図っていくのは地元だと感じています。引き続き皆さんの協力と支援をいただきながら大会開催に向けて準備を進めていきますので、よろしくお願いいたします。
今日聞いた「いろは丸」でのエピソードです。
幕末、紀州の明光丸と海援隊のいろは丸が瀬戸内海で衝突し、いろは丸が沈没した歴史は周知の事実です。いろは丸に乗船していた海援隊員は紀州に助けられたのですが、その中に坂本龍馬も陸奥宗光も乗船していました。
宗光は紀州藩から「紀州の人間が何故、海援隊にいるんだ」と疎んじられ、海援隊からは「紀州の船にいろは丸が沈没させられた。どうしてくれるんだ」と責められただろうと想像で話してくれましたが、その通りの会話があったと思います。紀州と海援隊の双方から責められた宗光の心中はどのようなものだったのでしょうか。この事件のことを宗光は後々も語っていませんから心中は分かりません。しかし現代社会と同じように、周囲から宗光は責められた筈です。周囲からの批判に耐えながら新政府で竜馬の志を受け継ぎ、そして紀州藩を支援していた宗光の「赦す」度量の大きさが分かります。
人が集まり会話を交わすことで、その時の場面を思い描きたくさんの想像が集まってきます。想像こそが創造につながるものなので、歴史談義には現代を考える力を高める効果があると感じています。
- 「龍馬World in和歌山」実行委員会に出席しました。大会当日のスケジュールやエクスカーション、準備物などの確認などを行いました。
- 一般質問で取り上げる項目について考えています。日本製鉄の橋本社長の考え方やインフレ下の賃上げを核とした一般質問にする予定です。話を聴かせてもらったり、必要な資料を集めています。