先月、案内をいただいていた「愛知和男先生ありがとうの会」に出席しました。愛知先生は令和6年5月3日に逝去され、本日、お別れの会が開催されたものです。ご存知の方も多いと思いますが、先生は1990年に海部内閣で環境庁長官に就任、続いて細川内閣で防衛庁長官を務められました。
本日、出席した皆さんからは「愛知先生は温かくて優しい方でした。気さくで話も気軽にできる方だったので残念です」という話や「日本のためにもっと生きていて欲しかった。防衛や憲法を語れる人で、数少ない日本を語れる政治家でした」「最後に会ったのは今年3月でした。まだ何回も会って勉強させてもらえると思っていました」などの話も聴かせてくれました。
そんな交流の席にお招きをいただき一緒に語れる時間を頂戴したことはありがたいことです。案内をいただけないことには出席できませんから、皆さんと一緒に先生の人柄とこれからの国のあり方を聴くことが出来た大切な時間となりました。
主催者が挨拶の中で次に語ってくれました。
「愛知先生は日本と言う国の行く先を憂いていました。いつの間にか先進国と言えなくなっている。先進国の中で日本だけ所得が伸びていないことや豊かさを実感できる政策を実行していないことを残念に思っていました。国は豊かさを感じられるように財源を偏ることなく国民全体に分配することが政府の役割だとも言っていました。それが出来ていないことが現在の社会を作ってしまったことを嘆いていたのです。
そこで身近な私達に対して『社会全体を豊かにする取り組みをして欲しい。でもボランティアはいけないよ。ボランティアをするのは、最初は良いけれどやがて資金が続かなくなるので行き詰ってしまうから。だから社会の仕組みを知って、継続して困っている人を支援できる活動をしなければならないですよ』と話してくれました。
先生は『新しい公共』の理念の下、産学官民が連携することで、誰もが幸せを感じられる社会システムの構築に取り組んで欲しいと話してくれていました。私達が社会を変える気持ちを共有し、ようやく方向性が定まったにも関わらず、それを指導してもらえる機会がなくなり、また見届けてくれることもできなくなりました。
先生の教えを実行できるところまで検討してきて、ようやくこれからだと言うところで先生がいなくなった悲しみと寂しさを感じています。
いつか天国に私が行った時『先生の教えに基づいて日本社会を豊かにできましたよ。社会のしくみを変えましたよ』と報告したいと思っています」と涙で言葉が詰まりながらも懸命に伝えてくれたのです。愛知先生と主催者の気持ちが会場に広がりました。
僕も出席者の代表として挨拶をさせていただきました。挨拶の一部を以下に記します。
「愛知先生は、日本社会は国全体で得た利益の分配が偏っている。まんべんなく所得の分配ができていないので社会のしくみを変えなければと語っていました。先生が思い描いた志を受け継ぐことがここに集まった私達がやるべきことです。成熟している社会を変えることは簡単なことではありませんが、社会のしくみを変えることを描いて行動することで大きなものが動く可能性が生じます。
愛知先生は日本鋼管に在籍しながら国会議員をした珍しい経験を持っています。現場を知っている、働く人の気持ちを理解できている、そして企業と政治が抱える問題を把握して解決しようしていた政治家でした。もちろん先生の足元にも及びませんが、先生と僕の唯一の共通点は、企業に在籍しながら政治家をさせてもらえた経験がありますから、現場の思いや悩みを知っていることです。その意味で先生の意志をこの社会で実現させる取り組みの一端を担うことができると思っています。同じテーブルでご一緒させていただいた皆さんと話を交わしましたが、皆さんも先生の優しいお人柄に感銘を受けていますし、社会を変えるという意志を受け継いでいると感じました。大きな社会を変えるための小さな活動がその一歩になると思います。今日のご縁を大切に思い、皆さんと力を合わせて社会を変えようとする志をもって行動したいと思います」と話しました。
愛知先生を偲び、その志を実現させたいと思いを抱いた皆さんと出会い交流できたことに感謝しています。