第35回全国「みどりの愛護」のつどいの和歌山城ホールでの記念式典と和歌山城での記念植樹に参加しました。
昨日は開催記念レセプションに出席し、本日は記念式典と記念植樹に出席する機会に恵まれたことに感謝しています。
会場の和歌山城ホールでは「人とみどりのつながりの歴史」の演奏からスタートしました。
人と自然の共生を音楽と映像で私達に語り掛けてくれました。振り返ると高度成長の時代は人類の叡智と科学が自然環境を支配できると考えていたようにも思いますが、それ以降は自然との共生を図ることが、地球と私達の生活環境を護ることにつながる考え方に変化し定着しています。和歌山県は恵まれた自然と温暖な気候に包まれた「記紀」の時代から自然の中で歴史を育んできた土地です。それが木の国、紀の国と命名された起源になっている素晴らしい歴史を誇っています。
古は自然の恵みが生活環境であり、生活の基盤を作る産業でもありました。恵まれた自然の恵みのある地域で産業が栄え豊かさを築いてきました。海南市の棕櫚の木を使った生活用品はその名残です。
戦後復興から高度成長の時代は化学製品が主流となり、天然素材を使った製品は買われなくなり生活の場から姿を消されてきました。でも本物志向の中で天然素材を使った日用製品は高級品として今も大事に取り扱われていますし、その技術が伝承されていることも誇りに思います。和歌山県にはそんな資源と技術が継承されている県であることを再認識できる記念式典となりました。
過去と現代、そして未来をピアノとバイオリン演奏、そして和歌山県の自然を映し出した映像で伝えてくれましたが、見事なまでに美しく仕上がっていました。実に和歌山県の文化の香りを感じさせてくれました。
奇跡の星、地球が存在し、母なる星と太陽が築き上げた自然の恵みに育まれた中で人間は生きています。言うまでもなく、人間はこの環境以外で生きることはできないのです。ところが私達はそんな当たり前の事を忘れてしまい、環境破壊や争いを繰り広げています。本来、宇宙と地球は美しいものを造形していると思いますが、地球上ではそれに反する行動も時として繰り広げられてきました。そして今も尚、それらは繰り返されているのです。地球以外で生きることができないことを理解しているなら、醜い心が表現されるような行いはしないはずですが、そうなっていないことに寂しさを感じます。
時々、「和歌山県には何もない。山と海、木があるだけじゃないか」と言われることがあります。これは県外の人だけではなく県内の人から聴くこともありますから、裏を返せば如何に自然に恵まれているかを知ることができます。人が生きていくことにおいて、山と海、木々に囲まれていることがどれだけ優れている環境であるかに人々が氣づいた時、和歌山県の価値を感じてもらえることになります。
但し「21世紀は心の豊かさの時代」と言われてから久しく、未だ心の時代に入っていないのです。心の豊かさよりも生活の豊かさを求める価値観は続いています。
今回和歌山県で開催された「みどりの愛護」のつどいは人間本来の活動を考える契機となり、過去を振り返ることから未来を考えることができました。どんな式典にも開催するだけの意味があります。今回の意味は以上のような振り返りを行い、未来にどんな活動をすべきかを考えさせてくれました。「みどりの愛護」のつどいを通じて地球環境と私達の生活、そして生き方を考える素晴らしい機会を与えてくれたことに感謝しています。
そして和歌山城では、秋篠宮皇嗣同妃両殿下の記念植樹の機会をいただきました。会場には「新緑の風薫る庭園空間で楽しむ弦楽アンサンブル」の演奏があり、優しく会場を包み込んでくれました。