活動報告・レポート
2024年5月25日(土)
大谷徹奘師法話
大谷徹奘師法話
薬師寺の大谷徹奘師の法話を聞かせてもらいました。テーマは「お経に学ぶ生き方」で、法句経を基にして心について解説をしてくれました。
お釈迦様は今から約2500年前の人ですから、キリストよりも古い時代の方になります。お釈迦様は口述で弟子に伝えていたため、その教えは文字では残っていません。お経は今から約2200年前に完成したものなので亡くなってから約300年後の経典になります。
そのため教えに間違いがないように文字はぎゅっと縮められているのです。後の時代のお坊さんはそのエキスを解釈しながら私達に伝えてくれているのです。
さて本日の大谷師からの教えについて以下に記します。
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玄関を出たら雨だったので空に向かって「このやろう。どうしてくれるんだ」と文句を言っても雨は止みません。文句を言っても自分の力ではどうしようもないので、それなら自分の心の持ち様を変える必要があります。「今日は雨か。天の恵みに感謝しなければ」など心のあり方を変えることで自分を取り巻く環境は変えられるのです。
要は悪いのは雨ではなく、自分をいら立たせているのは自分の心なのです。 -
人の心は常に迷いと悩みが同居しています。この迷いと悩みは生涯なくならないから心配しても仕方ないですよ。つまり理屈で人は幸せになれないのです。
心のあり方を変えないことには不満を抱えたままの人生を過ごすことになります。自分の人生は自分だけが生きられます。人は代わりに生きてくれないのです。
手を顔のところに持って来て下さい。そこでグーとパーを出してみ下さい。自分が思った通りに手は動いてくれるでしょう。自分の手を動かすことができるのは自分だけなのです。人はあなたの手を動かせることはできませんから。
試しに私(大谷徹奘師)に向かって「手よ、動け」と言ってください。「行きますよ。せーの」。「残念ながら、皆さんが大声で動けと言っても私の手は動きませんでした」。
他人の手を動かせることはできないのです。自分の意思以外に動かせることはできない。つまり人は自分の意思がなければ行動しないのです。心が身体を動かせているということです。
このように人は意思で生きています。意思で生きているのだから人生を良く生きるためには、常に学ばなければならないのです。 -
私の師匠である高田好胤師は74歳で亡くなりました。私の父は72才で亡くなりました。私は現在61歳ですが、自分で勝手に73歳まで生きられると決めています。私に残されている時間はあと12年だけです。この12年も確約されたものでも、なんでもありません。残された時間はこれより短いかもしれないのです。
私が薬師寺にお世話になってから44年が経過しています。振り返ると瞬きしている間に過ぎ去っていますが、私にはもう44年の時間は残されていないのです。だからやりたいことをやらなければいけないのです。死の直前、ベッドから天井を見ながら「やりたいことができなかった残念な人生だったな」と思うのと「やりたいことをやれた良い人生だったな」と思うのと、どちらを選びますか。私は後の方を選びます。 -
心で思ったことが言葉になります。心で思ったことが行動になります。心で思わないことは言葉にも行動にもつながらないのです。そんな心は何で出来ているかと言うと、体験と経験からできているのです。人は人の言うことは聞かないでしょう。自分で思ったことしかやらないでしょう。
それはこれまでの成功体験と経験から心は「そうしよう」と思っているからです。心に囚われていると大きな視点を持てないので、寂しい人生を過ごすことになります。人生で大事なことはどれだけ人と仲良くできるかですよ。中の良い人をどれだけ作れるかとも言えます。大事な人はやがて全員が去っていきますから、仲の良い人をたくさん作ることです。 -
私は法話をして全国を回っています。全国のお坊さんの中で一番たくさん法話をしていると思います。でも27歳の時に法話をしたいと思って皆さんにお願いしたのですが、年間6回の法話をしただけでした。法話をさせてもらえなかったのです。令和6年は1月から5月までのおよそ150日経過していますが、約120回は法話を行っています。
突然、法話の依頼が来るようになったのではありませんよ。一つひとつ地道に活動してきたから依頼を受けるようになったのです。一つのことをやり遂げるには時間がかかるのです。一所懸命、努力をして積み重ねる以外にないのです。法話をした結果はどうあれ、努力している分だけ達成感はあります。これが人生だと思います。
でも意識しないことには何もできませんよ。私は法話を意識しているから出来ているのです。意識しないで勝手に出来ていることはありません。無意識でやれるようになるには長い年月が必要となりますから、無意識でやりたいことをやれている人は少ないのです。 -
人は楽な方、楽な方へと心が動いていきます。心は坂道に置かれているボールのようなものですから、楽な方に落ちて行かないように止める必要があります。坂道を転落しないように食い止めるだけでも大変なことですから、心を上に持ち上げるのは更に大変なことです。
お釈迦様は5つの悪事と5つの善事を説いていますが、心は悪事に染まりやすく善事から避けようとするものです。5つの善事を意識して欲しいと思います。
この5つの善事とは「確信」「勤勉」「反省」「静寂」そして「理知」のことです。
その他
- 片男波で開催された地曳網イベントに参加しました。コロナ禍のため中断している期間があったので、本ファミリーイベントは5年ぶりの開催となりました。
- 今回が5回目となる羅布陽介さんと主催の能登半島被災地支援チャリティトーク&コンサートを開催しました。僕からは能登半島の被災地支援の現状と和歌山県の防災対策について説明しました。チャリティに協力してくれた皆さん、参加してくれた皆さんの善意に心から感謝しています。
- 県民文化会館において、向陽高校の前任の校長先生と会いました。現在、高野山で教壇に立つなど、校長先生の時と同じように変わらず活躍中で嬉しく思っています。一度、高野山を訪ねてみたいと思っています。